飽くなき探究心と仕事に懸ける熱意が圧倒的な歌姫だった。本田美奈子の芸能人生は「アイドル期」「ミュージカル期」「クラシック期」の3つに分けられる。
1985年4月、アイドルらしからぬ『殺意のバカンス』という曲でデビュー。『1986年のマリリン』ではヘソ出しルックで腰を振り、“和製マドンナ”と呼ばれた。
1990年、ミュージカル『ミス・サイゴン』のオーディションに挑戦。翌年、応募者1万5087人の中からヒロイン役に選ばれると、他の仕事を断わって1年間レッスンに集中した。右足指骨折の大怪我を乗り越え、1年4か月に及ぶ公演で演劇史上最高の111万人を動員した。
ミュージカル経験で3オクターブまで広がった音域を生かし、2003年にはクラシックアルバムを発売。ザ・シンフォニーホールでのコンサートも成功させた。歌うことにひたすら愚直に向き合った姿をファンはいつまでも忘れない。
【プロフィール】
本田美奈子(ほんだ・みなこ)/1967年7月31日生まれ、東京都出身。音楽ではポップスのみならず、ロックや演歌にも挑戦。1990年代以降は『レ・ミゼラブル』『王様と私』などミュージカルで存在感を発揮した。2005年、急性骨髄性白血病のため夭逝。
文/岡野誠
※週刊ポスト2023年4月21日号