艶やかな紅色の裏地が目を引く黒のロングコートに、トレードマークの黄色みがかったレンズのメガネ。買い物かごをさげたピーコ(78才)は、あてどもなくゆっくりと店内の商品を見て回る。ただし手に取るのはいつも決まっていて、瓶のウイスキーと、つまみにするでき合いの総菜だ。セルフレジの前で立ち止まると、慣れた手つきで袋詰めを済ませ悠然と店を後にした。何の変哲もない日常風景のように見えるが、その背景には現在の日本が抱える社会問題が隠れていた──。
冒頭は3月上旬、都内の自宅近くの店で買い物をしていたピーコの様子だ。かつて「おすぎとピーコ」としてテレビに引っぱりだこだったピーコに関する報道が、この4月に相次いだ。4月10日、『週刊女性プライム』が自宅マンションからピーコが姿を消し、行方不明になっていると報じた。それから5日後の4月15日には『サンデージャポン』(TBS系)がピーコが高齢者施設にいると「無事」を伝えた。
失踪報道直前、本誌『女性セブン』は現在の暮らしについてピーコに話を聞いていた。小さな買い物袋を手に自宅マンションに帰宅したところに声をかけた。
──ピーコさん、お元気そうでよかったです。
「元気っていうか生きているわよ。ひとりで暮らしてるから、お総菜とか好きなものを買ってくるの。酒ばっかり飲んでるのよ。酒浸りの生活とでも書いておいて(笑い)」
──おひとりだと寂しくないですか?
「う~ん、気楽よ。もうね、好きなようにやっているから。死ぬときはあなたに電話するわね(笑い)。じゃあね」
少しやせてはいたものの、相変わらずのピーコ節を発揮していた。それからわずかな時間を置いて、ピーコは自宅から姿を消した。
昨年5月、本誌・女性セブンは「ピーコの幻迷『老老介護の果てに』」という記事で、喜寿を迎えたピーコと双子の弟・おすぎ(78才)の老後に待っていた過酷な運命を報じた。
「おすぎさんは2010年から福岡を拠点に活動していたのですが、2021年の夏頃から体調に変化が生じ始めました。集中力が散漫になって、物覚えが悪くなるなど、認知症の初期症状が見られた。同年秋から、おすぎさんが姉から相続した横浜のマンションでピーコさんと一緒に暮らすことになったんです。両親と姉2人をすでに亡くした兄弟の、50年ぶりの同居でした」(ピーコの知人)
おすぎは以前から「ピーコがいてくれてよかった。老後は2人で暮らしたい」と語っていた。兄弟は一緒に穏やかな余生を過ごすはずだったが、老老介護の現実は厳しかった。
「同居生活を始めてすぐ、これまでと違うおすぎさんの様子にピーコさんはショックを受けました。同時に、彼自身の記憶力も低下し、感情の起伏が激しくなった。認知症と言えるものでした。介護生活がストレスになり、おすぎさんに“いますぐ出ていけ”と声を荒らげることも増えて、とうとう“これ以上は一緒に住めない”という状況になってしまった。昨年2月頃におすぎさんは家を出て、近所の高齢者施設に入所しました」(前出・ピーコの知人)
だが、同居を解消してもピーコの症状は回復するどころか、ますます悪化していった。
「怒る相手がいなくなったからか、おすぎさんが去った後のピーコさんはどことなくしょんぼりとして、元気がなくなりました。かつての友人らに“おすぎが死んだ”“お骨になって帰ってきた”と、事実ではないことを言いふらすようになり、周囲は困惑していました」(前出・ピーコの知人)
ひとり暮らしに戻ったピーコは冒頭のように買い物に出かけるなど身の回りのことを自身でこなしていたが、体調には波があったという。
「週に一度、行政のかたが様子を見に来ていました。体調がよければ散歩や買い物に出かけられますが、調子が悪いと部屋からずっと出てこないこともあったそうです。室内にはゴミがたまり、身の回りのことができなくなっていきました」(前出・ピーコの知人)
本人が「気楽」と明かした生活を周囲が心配し始めた矢先の3月25日、午後3時に事件は起きた。