【書評】『唐──東ユーラシアの大帝国』/森部豊・著/中公新書/1210円
【評者】山内昌之(富士通フューチャースタディーズ・センター特別顧問)
高校世界史を習った人なら征服王朝という言葉を記憶しているかもしれない。元や清のように、万里の長城の北に住む騎馬遊牧民などが中国本土を征服して国家を樹立した王朝のことだ。
しかし最近では、『貞観政要』の統治論で知られる太宗・李世民の唐王朝でさえ、北方の遊牧騎馬民・鮮卑人の血を受け継いだことが分かってきた。著者によれば、唐は、気候の寒冷化によってモンゴリアから北中国へ移動した鮮卑人が、漢人勢力や他の騎馬遊牧民と時に争い、また時には共存していくプロセスから誕生した王朝にほかならない。
実際に、代表的な唐代史家の池田温氏は、鮮卑語を音写した職名から、唐初の軍制に鮮卑の制が残っていたことを実証した。「庫真」(庫直)という語は、唐の直前の隋や、南北朝時代の東魏や北斉でも確認できる親王の側近で、侍衛や宿衛の任にあった職を意味する。
著者は、この庫真を東ユーラシア世界まで視野を広げて、のちのモンゴル帝国時代の「ケシクテン」(当直をもつ人びと)の役割に類似すると考える。ケシクテンとは、精鋭の親衛隊であるばかりか、新たに服属した部族集団の首領の子弟を教育することで、将来の国務を担う人材を養成する、遊牧社会のシステムの一つであった。「~真」なる官名は、北魏の頃からあり、北魏・東魏・北斉・隋から唐初期にかけて遊牧社会のシステムが保持されていた例証とされる。
唐は、次第に漢字文化を取り入れ、遊牧文化と中国的古典文化の融合した国家となる。とくに、7世紀前半の東突厥滅亡による最小でも10万人、最大に見積もれば100万人の遊牧民の北中国への移動、8世紀半ばの安史の乱以降の中央アジアや西アジアからの人間移動、8世紀後半以降のテュルク系部族の移動、ソグド人の往来など、民族と部族の移動は、唐の国家形成と変容に大きな役割を果たした。
本書は、唐帝国の独創的な通史でもあり、スケールの大きな歴史観の提示でもある。歴史好きの人には是非に一読を勧めたい。
※週刊ポスト2023年5月5・12日号