上皇ご夫妻が5月中旬に京都・奈良を私的旅行で訪問される。上皇ご夫妻は長年、「公務優先」を貫かれてきたので、私的な旅行に出られるようになったのは、実はこの10年ほどのこと。2013年4月、長野県への旅行が初めてで、その後はしばしば出かけられている。
「今回の行き先が京都・奈良に決まった背景には、“葵祭をご覧になりたい”という上皇さまの強いご意向があったといいます。一般のシニア世代の間でも『自身のルーツや系譜に触れること』を目的にした旅行はポピュラーですが、上皇ご夫妻もコロナ禍がやっと落ち着いた折、皇室の来し方を感じられる土地に向かわれたくなったのではないでしょうか」(皇室関係者)
京都・奈良でどのような旅路をたどるのだろうか。
「京都では、葵祭をご覧になるほか、平安京で生涯を過ごされた最後の天皇である孝明天皇や、その子である明治天皇、昭憲皇太后ほか、京都に陵墓がある先祖ゆかりの場所に行かれると聞いています。特に美智子さまは、かねて昭憲皇太后への憧れを口にされていますから、感慨もひとしおではないでしょうか」(宮内庁関係者)
昭憲皇太后は、明治天皇の妻で、明治維新以降の現代の皇室の基礎を皇后として築いたとされる。美智子さまは2002年の誕生日文書に際して「これからの女性皇族の役割」について問われた際、次のような文章で始められた。
《皇后の役割の変化ということが折々に言われますが、私はその都度、明治の開国期に、激しい時代の変化の中で、皇后としての役割をお果たしになった昭憲皇太后のお上を思わずにはいられません》
昭憲皇太后はまた、長く途絶えていたご養蚕を再開させた人物としても知られている。美智子さまは皇后時代、日本古来の蚕の飼育継続を自ら希望されるなど、熱心にご養蚕に取り組まれてきた。
「美智子さまにとって、昭憲皇太后ゆかりの地に赴くことは、おのずと皇后時代にご自身が歩まれた道を回顧されることにつながり、皇后の誇りと矜持を再確認されるに違いありません」(別の宮内庁関係者)
郷愁の旅路は、今後、京都・奈良以外でも歩まれることになるかもしれない。
「まず候補に挙げられるのは、明治天皇の時代から皇室と縁があり、おふたりが“テニスコートの恋”を育まれた軽井沢でしょう。軽井沢は、美智子さまの戦中の疎開先でもあります」(前出・宮内庁関係者)
また、上皇さまが皇太子時代に玉音放送を聴かれた「御座所」も可能性があるという。上皇さまは当時、奥日光湯元温泉の南間ホテルに疎開されていた。しかし、同ホテルは廃業し、現在、御座所は「ましこ悠和館」(栃木県益子町)に移築されている。
「戦後70年の2015年に現地に行かれる予定でしたが、関東・東北豪雨により鬼怒川が決壊するなど大きな被害が出たことにより、断念されました。上皇ご夫妻は、一度行くとお伝えした約束は必ず守られます。近い将来、必ず御座所に行かれるでしょう」(前出・別の宮内庁関係者)
新型コロナは5月8日から「5類」へ移行する。とはいえ、感染者ゼロが続いているわけではない。宮内庁関係者らは京都・奈良旅行の対応に頭を悩ませているそうだ。
「上皇ご夫妻が京都・奈良入りされたことで『密』な状況になってはなりません。もちろん、上皇ご夫妻への感染リスクが高くなるような状況は、絶対に避けなければならない」(前出・宮内庁関係者)
葵祭については、現在、さまざまな調整が進められているようだ。
「上皇ご夫妻としては国民と同じ目線でご覧になりたいという思いがあるでしょうが、コロナのことを考慮するとそうもいきません。どうかトラブルなく楽しんでいただきたいという思いです」(前出・別の宮内庁関係者)
上皇ご夫妻の“旅路”は始まったばかりだ。
※女性セブン2023年5月11・18日号