大学在学中の1998年にはフィギュアスケートのアイスダンス競技で長野オリンピックに出場した元日本テレビアナの河合彩さん(48)。「オリンピアン」というアナウンサーとしては異色の経歴とともに翌年に日本テレビへ入社し、生活情報番組『峰竜太のホンの昼メシ前』やスポーツ番組に出演した。2002年に退社してベンチャー企業に転職し、数年後には会社を立ち上げた。現在はフィギュアインストラクターやアナウンススクールで講師も務める河合さんに局員時代と退社後のリスタートについて聞いた。
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小さい頃からフィギュアスケートに打ち込んできましたが、私の母は「スケート界だけじゃなくて他の世界も見てほしい」「大学卒業後は一般企業に就職しなさい」という方針だったんです。スケートばかりの私は社会のことをほとんど知らず、就職についてもそこまで真剣に考えていませんでした。そんな中で興味を持ったのがアナウンサー。学生時代に世界選手権やオリンピックに出場した際、取材される側としてアナウンサーと接する機会が多く、アナウンサーの仕事は面白そうだったので就職試験を受けました。
それで運よく日本テレビのアナウンサー試験に受かりまして、1999年に入社しました。希望していたスポーツ番組のほか、普通のニュース番組などの仕事も含め、万遍なく仕事をさせてもらいました。ただ、日テレは当時、フィギュアスケートの放送権は持っていなかったので、アナウンサー時代は専門分野であるフィギュアの仕事はなく、箱根駅伝や高校サッカー、プロ野球の二軍の試合などの現場がもっぱらでしたね。
2001年12月の人事異動で、アナウンス部からスポーツの制作(スポーツ部)に異動になったんです。それから1年間ほど制作の仕事をやってみたのですが、私が思い描いていた仕事とは違い、退社を決めました。
先に言った母との“約束”を守るという条件で大学までずっとスケートをやらせてもらっていたので、大学卒業後は日テレに就職したのですが、本当はフィギュアスケート界で仕事をしたかったんです。アナウンサーの仕事は面白かったのですが、アナウンス部から異動になった時に「やっぱりフィギュアスケート界に戻りたい」と燻っていた思いが湧いてきました。
フィギュアスケート界で仕事をしていくためには英語が出来たほうがいいので、日テレを退社後にカナダに2年ほど語学留学しました。しかし、帰国後はちょうど日本のフィギュアスケート界を支えていたプリンスホテルとダイエーグループが傾いていた時代でした。現在ほどフィギュアスケートの人気もなかったので、業界内では食べていけない人もおり、周りの人達からも「フィギュアスケートの仕事より、ほかの仕事をしたほうがいい」と言われました。それでどこか就職しようとしたのですが、元アナウンサーという肩書きは意外と潰しが効かず、事務仕事ができる女性の方がいいという会社が多かった(笑)。
そんな私を拾ってくれたITベンチャー企業で役員秘書を経験。その後、同企業でブランディングなどの仕事に携わるようになりました。そこで4~5年働いた後、何かしらスポーツに携わりたい思いから独立して会社を立ち上げました。