【書評】『君たちのための自由論 ゲリラ的な学びのすすめ』/内田樹、ウスビ・サコ・著/中公新書ラクレ/924円
【評者】関川夏央(作家)
内田樹は思想家にして武道家、ウスビ・サコはマリ共和国出身の建築空間学者でムスリム、アフリカ系で初めて日本の大学の学長となった人だ。内田はサコに、表現系を主としたその「風通しのいい」京都精華大学に招かれて「自由論」を担当したが、この本は講義の一部と二人の対談で構成した。
〈日本はたしかにもう「泥船」です〉と内田はいう。〈でも、その時に「泥船を捨てて(外国に)逃げろ」というスマートでエゴイスティックな解とは別に、「なんとかもたせて、沈むまでの時間を先送りにして、その間にできるだけ多くのものを救い出す」という泥臭い仕事も誰かが担うべきだ〉
「昭和育ち」も日本が右肩下がりだと実感していた。しかし、もはや「泥船」なのか……。「衰退途上国」化はこの三十年、「新自由主義」に基く為政者の「管理」意欲、それから「誰でもできることを他の人よりうまくできる者」に資源を集中した結果だ。
サコはいう。「日本社会の同調圧力が強力な武器」であった時代は去った。若い人たちは「同調圧力」を「空気を読むこと」だと矮小化して受け取って萎縮・沈黙する。それが顕著なのが、本来「空気」とは無縁だったはずの大学という空間だ。
内田はいう。「自由」の反対語は「束縛・抑圧」ではなく、私権の制限と公共への資源の委託による「平等」だ。だが自由と平等は「そのつどの歴史的条件の中で、それぞれの顔をちょっとずつ立てて、なんとか折り合いをつけなきゃならない」。仲を取り持つのが西欧では「友愛」、日本では「親切」ではないか。
タイトルの「君たち」は青年たちを指すが、実は中年以降の人も「君たち」に入るのだろう。老いて偏狭で短気、暗い気分になりがちな「昭和育ち」をいくらか救うのも、内田のいう「親切」では? 余計な口をはさまず、ただ「親切心」を持って青年たちを見守る。それしかなさそうだ。
※週刊ポスト2023年5月5・12日号