【書評】『平田篤胤 狂信から共振へ』/山下久夫、斎藤英喜・編/法藏館/6600円
【評者】大塚英志(まんが原作者)
柳田國男が戦時下に著した「炭焼日記」は、彼の許に次々と偽史運動の担い手たちが妖しげな文献を携えて訪れる様が記録されている。それは柳田民俗学の基層というべきなのか周縁というべきなのか、偽史やオカルトを接合する部分があるからで、それをどう柳田理解の材料に持ち込むのかは厄介な問題だ。
ぼくの師だった千葉徳爾は、そもそも民俗学は偽史なのだからとさらりと言いもしたが、本書がぼくにとって興味深いのは、平田篤胤についての論集でありながら同時に柳田論であり、それがオカルト(という言い方を編者らは嫌うだろうがその周辺のデリケートな領域)を検証の対象から排除していないことだ。
柳田への父を介しての国学の影響は最近なら柄谷行人も強調する定説となっているが、一体、明治期の柳田の文学/学問形成に与えた「教養」を考えた時、国学出自の心霊や神仙思想があり、しかし平田国学なりを妙に純粋化した「国学」論の単独で柳田に結びつけることは、研究や批評としては余計なものを持ち込まずに済むからある意味楽だが、本書はその余計なものを包摂する形で平田篤胤を近代に接続しようとしている。
だから本書の論者は、しばしば柳田に言及するとともに木村鷹太郎や酒井勝軍の言説を明治期における「国学」の問題として排除せず検証することを忌避しない。その問題系は、昭和前期のファシズムにも接続され、しかしそれが妄想の古代史に軍人らが翻弄されるという伝奇小説的おもしろさとは違うかたちで、国学を偽史やオカルトを変数に入れることで思想史的に描き出そうとしている。
個人的には仙童寅吉のその後について言及した論考や「実験」「霊媒」といった柳田の用語の心霊研究との関わりを示唆した論考、酒井勝軍の神代文学観を検証した論考など、学ぶところが多かった。学術化しにくい余計なものを思想史・宗教史の対象にすることに成功し、それが柳田國男の理解という僕の限られた関心の中でもその「読み」の基層の掘り起こしに成功している。
※週刊ポスト2023年5月19日号