東京オリンピック開催を控えた1963(昭和38)年4月、『女性セブン』は誕生した。ファッションから生活実用、芸能記事に皇室報道、海外ニュースももらさず、新聞の三面記事まで──女性の「知りたい」に応え続けてきた『女性セブン』。
60年前、創刊当時の物価は大卒初任給(公務員)が1万5700円、新聞購読料450円、ラーメン50円、銭湯23円。『女性セブン』は50円だった。50円の中にできるだけ多くの情報を載せたい、というのが編集部員の願いであり、使命だった。
今回、創刊号を紐解くにあたって、『女性セブン』現役最古参となる“オバ記者”こと野原広子(66才)に話を聞いたが、そうした姿勢はいまも変わらないという。
「私がセブンで取材を始めたのが1982年。『男と女の千一夜』というちょっとエッチなレポート記事を担当させてもらいましたが、当時の編集長からこう厳命されました。『付け焼き刃の情報ではダメ。必ず取材現場に行って、自分の目と耳で得たものを余すところなく伝えなさい。お金を出してくれる読者をがっかりさせないよう、全力で取材相手にぶつかりなさい』。それはいまのセブンにも、脈々と通じるものだと思います」(オバ記者・以下同)
セブンが創刊された1960年代前半、日本は大きな転換期を迎えていた。見合い結婚と恋愛結婚の割合が逆転、大学へ進学する女性も増え、恋愛結婚の末、寿退社をする──女性の生き方が変わりつつある中、注目されたのが、民間から皇室に嫁がれた美智子さまだった。
──今回、創刊号の中から特にオバ記者の印象に残った記事を選んでいただき再掲載していますが、やはり皇室記事はその筆頭ですか?
「そう、女性週刊誌といえばやはり皇室記事。だって、見たくてもなかなか見ることができない世界なんだから、のぞいてみたくなるじゃない」
──その世界に美智子さまが嫁がれたわけですから、
「なおさらよね。でもそれにしてもセブンは大胆だったのね。浩宮さま(当時)に対する美智子さまのしつけ・教育の様子を《ダダをこねれば愛のムチも》なんて書いてるけど、いまの時代だと不要な横やりが入りそうな表現よね」
──たしかに、いつの時代も、皇室記事の難しさはその“距離感”にありますね。
「女性週刊誌を読みたくなるのはそこなのよ。微妙な感情が実は行間に託されていて、それを読み解いていくのが面白いの。
ほら、《ご両親に対しては、初め団地の家庭なみに「パパ」「ママ」とおっしゃっていたが、最近は皇室の長い伝統に従って「おもうさま」「おたあさま」とお呼びするようにした》という一連のくだりを読むと、(あぁ、あんなことがあって、で、こうなったのかな?)って思わず想像したくなるじゃない。“昔の女学校”というとなんだけど……そういう感情を刺激してくれるのが女性週刊誌なのよ」
──記事のトーンこそ穏やかですが、しっかり斬り込んでいるわけですね。
「そう。“開かれた皇室”といっても、実際はどうなの?って思うじゃない。そういう世界に入っていかれたわけだから、美智子さまのご苦労たるや想像に難くない。でも、それって自分にも通じることだったりするのよね。嫁入りしたものの、お義母さんとの相性がちょっとアレなときもあったりして……なんて、わが身に起きたことに置き換えてみたりすると、美智子さまの心情に寄り添えるし、より興味が湧いてくるの」
──皇室という公のお立場がある一方、私たちに共通する部分もあるというわけですね。
「だから、友達と茶飲み話をしていると、皇室の話題がいつしかご近所のお宅の話になってたりするの。『あそこの家は弟の嫁がダメ。口うるさくて怒りっぽくて。嫌気がさした娘は怪しげな男とくっついて海外に逃げちゃったらしいわよ』なんてね。女性週刊誌が一冊あれば話が尽きないし、1週間たてばまた次の号が出て楽しませてくれる。一読者としても私はセブンに感謝してます」
【プロフィール】
“オバ記者”こと野原広子/昭和32年、茨城県生まれ。66才。『女性セブン』記者として40年超、体当たり取材を敢行し、健筆を振るっている。
※女性セブン2023年6月1日号