歌舞伎の名門「澤瀉屋」を率いる市川猿之助(47才)の浮世離れしたハラスメント体質が浮かび上がった。歌舞伎界でもトップレベルの人気を誇る猿之助だが、劇場関係者はこう証言する。
「猿之助さんの舞台に立った経験を持つある役者は、猿之助さんとの“関係性”にかなり苦悩していました。たとえば、地方興行などの際、頻繁に猿之助さんのホテルの部屋に誘われ、お酒につきあわされていた。そればかりか“隣に寝なさい”と指示され、横になると布団の中に潜り込んできて、キスをされたり、身体を弄ばれたりと過剰な性的スキンシップをされるというのです」(劇場関係者)
こういった証言は後を絶たず、ある澤瀉屋関係者はこう告白する。
「猿之助さんは陽気でチャーミングで洒脱で、“いいお兄さんキャラ”なのはその通りです。ただ、夜にお酒を飲んだ後、2人きりになるのが怖いんです。私の場合はタクシーで手をつなぐのは当たり前で、キスをされたり、下半身を好き勝手にされたりする程度でしたが、周りにはもっと深刻な接触を求められている人もいました。
拒否したらどうなるか。舞台で役を与えられなかったり、無視されたり、スタッフなら仕事を取り上げられたり……。狭い世界なので断るのは本当に勇気がいることなんです」(澤瀉屋関係者)
また、猿之助はコロナ禍においてパーティーを開いていたという。
「コロナ禍の前から、誕生日会や新年会、忘年会、公演の打ち上げといった名目で、猿之助さんが主催するパーティーが頻繁に行われていました。参加するのは、澤瀉屋の一門にいる若手の歌舞伎役者や、猿之助さんの興行などに出演する舞台俳優やアクション俳優などです。
ただコロナ禍を迎え、飲食店など人目がある場所での大人数の集まりは憚られるようになった。そのため、ここ数年は歌舞伎座近くの名門高級ホテルのスイートルームや、横浜や鎌倉、葉山、河口湖などの隠れ家的な高級ホテルを一棟貸し切ったりして、ドンチャン騒ぎをやっていました。コロナ禍になる前より、周囲の目がないところで身内ばかりで遊べるので、“淫靡な濃厚接触”がよりエスカレートしたんです」(前出・澤瀉屋関係者)
そのパーティーでは、猿之助の指示で複数の参加者が入浴させられたことがあったほか、酔っ払った猿之助も一緒に入浴し、参加者にキスをしたり、体を触ったりなどのスキンシップが平然と行われていたというのだ。
「澤瀉屋」という屋号は、初代猿之助の生家が、薬草の澤瀉を扱う薬屋だったことに由来するという。初代猿之助は、九代目市川團十郎に成田屋を破門にされた後に澤瀉屋を掲げ「市川猿之助」「市川段四郎」の名跡を二枚看板としてきた。澤瀉屋には「猿翁」の名跡もあるが、「猿之助」の名を後継者に譲った人間が名乗る隠居名のため、猿之助がれっきとした中心である。
「猿之助さんは、もともとの『市川亀治郎』を終生名乗りたいと公言していたし、父親の『段四郎』を継ぐかもしれないと考えていたはずです。しかし、風向きが変わったのは、伯父で三代目猿之助(当代の猿翁)が高齢と体調不良のため猿之助を退くことになり、当時の亀治郎に白羽の矢が立ったこと。2012年に『四代目猿之助』を襲名すると、それまで古典歌舞伎ばかり演じていたのが一転、新作へと没頭していきました」(歌舞伎関係者)