【書評】『物ぐさ道草 多田道太郎のこと』/荒井とみよ・著/編集工房ノア/2420円
【評者】川本三郎(評論家)
多田道太郎(一九二四─二〇〇七)は六〇年代以降、社会、風俗、文学など幅広いジャンルで大活躍した京都の学者。映画も論じ、私など成瀬巳喜男論に影響を受けたものだった。その多田を師と仰いだ著者による軽快な評伝。
軽快と書いたのは他でもない、多田の文章が、学者の堅苦しさのない軽快なものだったから。飛躍、脱線、韜晦が多く、時に大いに笑わせもする。著者は多田を論じるキーワードとして「いちびり」を挙げる。
「いちびりは関西特有の批評精神である。鋭くないとだめだが、攻撃性がないのが特徴である。いちびりは自分を笑い相手を楽しませる。読者はくすぐられる」。いわばトリックスター(道化)の手法だろうか。
よくいわれることだが、京都の学者は他の学者とのつながりが強い。多田も「日本小説を読む会」を作り同世代の知識人と刺激し合う。京都という風土が幸いした。
六〇年代は日本の社会が豊かになり、大衆文化が台頭した時代。多田はそれを否定せず、むしろ大衆文化を積極的に論じた。そのひとつの成果が『複製芸術論』。写真は絵画の、映画は絵画と演劇の、レコードは演奏の複製である。
従来、オリジナルなものだけを芸術と考えていたのに対し多田は複製も芸術と考えた。そこからさらに、『しぐさの日本文化』へと進む。「しぐさ」という小さな身体表現のなかに日本文化を読みとる。パスカルやロジェ・カイヨワと並んでエノケンや西田佐知子を同等に論じるのは多田の真骨頂。
もともとの専門はフランス文学。ルソーやボードレールを研究した。その多田は若き日、フランスの老農夫を取材し、『ブルターニュ半島』を書いた。あまり論じられない本なのでこのくだりは新鮮。「軽み」を大事にした人だから晩年は小沢信男を師とし俳句に進む。その「軽み」の学者に戦争体験があったという指摘は重い。また弁護士になったばかりの娘が急逝した事実には粛然とする。
※週刊ポスト2023年5月26日号