放送作家、タレント、演芸評論家、そして立川流の「立川藤志楼」として高座にもあがる高田文夫氏が『週刊ポスト』で連載するエッセイ「笑刊ポスト」。今回は、ラジオ番組だからこそ会えるリラックスした日テレ看板番組の顔について綴る。
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GW、都内最古の劇場(150周年)といわれる明治座の社長らと「この節の芸界」などを肴に食事会。東京の芸の未来なぞ考える。
別日、浅草公会堂で3日間やっている立川談春の会。秋に真打の披露目をする女流の弟子、こはる改メ立川小春志の予行演習の会の趣。談春がつけた名らしいが音的には“小三治”“小金治”のひびき。いまだに公開で小言をくらっているのが面白かった。思えば小さんから談志、そして談春からこの小春志へと芸の血は流れているのだ。
「そういう昔の芸の話なんか、高田が言っとかなきゃもうどんどん分からなくなっちゃうんだからな」と学生時代からの友人達に言われた。「現場でからんで首つっこんできてる奴こそ言う権利あるんだよ」。
たった50年前のことでも今の若い人は分からない。私がこの業界に入った1970年頃は三波伸介や東八郎のトリオブームとコント55号ブーム。1980年になるとご存じの通り“漫才ブーム”が起きてB&Bやツービート。そのコンビもバラして『オレたちひょうきん族』。あまりにも漫才師の勢いがすごいので同じスタッフで“落語”も何とかしようと私の構成・司会で深夜『らくごin六本木』。5年もやったがどうにもならず、ならばいっそと、作家をやりながら談志に入門。大爆笑落語を創りあげていった私こと立川藤志楼。
1980年代から1990年代「落語冬の時代」といわれた時、マスコミがいつも取りあげたのは談志は別格として“6人抜き真打 小朝”“新作落語の鬼 円丈”そして“元祖二刀流 藤志楼”の3人だけである。新宿紀伊国屋ホールでの私の独演会は10年やったがまったくチケットがとれない程の人気。今よく噺家のコピーに「今 最もチケットがとれない落語家」など紹介文があるがあんなもの40年も前に私のために使われていたものだ。
この3人に憧れて漫才ではなく落語に飛び込んできた若者が昇太、談春、志らく、喬太郎らである。草木も生えない寄席。そこへ2001年志ん朝の若き死。マスコミは「落語は終わった」と書いたがクドカンこと宮藤官九郎が2005年にドラマ『タイガー&ドラゴン』執筆。一気に若手落語家ブーム。
そこへ来て講談の方から生きのいい神田伯山が飛び出し時代の寵児。そしてそして、なんと古くさく思われていた浪曲から玉川奈々福、太福という明るい人気者が誕生。そこへこの度8年の歳月をかけた川上アチカ監督のドキュメンタリー映画『絶唱浪曲ストーリー』が完成。老浪曲師と曲師の元に入門し苦悩する港家小そめの物語~ッ いざッ!!
※週刊ポスト2023年5月26日号