『女性セブン』がこの4月、創刊60周年を迎えた。創刊号が発売された1963年当時の物価は大卒初任給(公務員)が1万5700円、新聞購読料450円、ラーメン50円、銭湯23円。『女性セブン』は50円だった。女性セブンの現役最古参となる“オバ記者”こと野原広子(66才)が、セブンの原点となった創刊号を見ながら当時を振り返る。
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セブンが創刊した1963年、私は6才で小学1年生。茨城のわが貧乏一家のお隣は理容店だった。週刊誌や芸能月刊誌が何冊もある。好き放題、最新号が読めたのよ。そこはまさに夢の世界! 週刊誌さえ広げれば、親の怒号も消えるし、怒られてばかりの先生の顔も思い出さない。
たとえば、【1】の冷蔵庫は夢のまた夢よね。わが町で冷蔵庫が一般化したのは1970年前後。「今日、うちに冷蔵庫が来るんだ」と学校で友達が言うと、みんなで見にいくの。そして電気屋さんが四角い木枠を外して設置するさまを、大人も子供も飽きずに見ていたっけ。そのときの同級生の誇らしげな顔はいまだ脳裏に焼き付いているわ。
【2】の『彼のよろこぶクイック料理』になると、「うへ〜っ、彼だとよ、彼! なんだ、そら」と、田舎の子供は反発するしかない。私が料理を作るようになった高校生になっても、料理ページは1秒でスルーした。だって、書いてある材料が田舎にはないんだもの。月桂樹の葉とか生クリームという文字が憎かったっけ。
……と、一瞬にして、創刊当時の気持ちにワープしちゃったけど、66才になったいまの目で見ると、驚くのが【3】と【8】のファッションページよね。特に【8】。洋裁が趣味の私も、これには悲鳴をあげたね。当時の読者はきっと、服の写真の横に小さく載っている図面を見て、自分で型紙を起こして洋服を作れたってことだと思うけど、すごくない!?
驚くのはそれだけじゃない。【4】の連載小説を書いたのは松本清張だし、【7】の『たのしくなる服』のアドバイザーは、セツ・モードセミナーの創立者・長沢節や森英恵などなど。彼らが1枚ずつ自作の洋服を図面付きで提供しているって……あり得ません!
かと思えば、60年たっても変わらないものもある。【9】【10】【12】などの体験手記や法律相談、現場レポートの読み物ページはいまも続いている。【11】の社会派記事もそう。だけどなんていうのか、それぞれページの重みが違うんだよね。
特に【9】は、それまで主流だったお見合い結婚に恋愛結婚が半々にまで迫った時代だけに、法律は切実だったはずよ。男女同権とはいえ、恋愛は「野合」や「傷モノ」という言葉で白い目で見る風潮がまだ社会にあって……といってピンとくるのは私たち昭和30年代生まれまでだけどね。ともかく私は女性セブンの最古参記者だそうな。週刊誌記者として生きてこれて私は幸せです。
【プロフィール】
“オバ記者”こと野原広子/昭和32年、茨城県生まれ。66才。『女性セブン』記者として40年超、体当たり取材を敢行し、健筆を振るっている。
※女性セブン2023年6月1日号