日本語を母語としないながらも、今は流暢でごく自然な日本語で活躍している外国出身者は、どのような道のりを経てそれほどまで日本語に習熟したのか。日本語教師の資格を持つライターの北村浩子氏がたずねていく。今回はイタリア出身の翻訳者・文筆家のイザベラ・ディオニシオさんにうかがった。【全3回の第1回】
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『女を書けない文豪(オトコ)たち イタリア人が偏愛する日本近代文学』(KADOKAWA)という本をある日、書店で見つけた。イタリア人研究者が書いたものが翻訳されたんだろうと勝手に思い、表紙カバーをよく見たら、翻訳者の名前がない。
日本語で、日本近代文学のガイドブックをイタリアの方が書かれたんだ、と分かった。しかも(なんとなく)ダメ男の話って感じではないか。大好物! 面白そう!
というのが、その本の著者、イザベラ・ディオニシオさんとの(間接的な)出会いだった。
田山花袋の「蒲団」、谷崎潤一郎「痴人の愛」、太宰治「ヴィヨンの妻」などの名作をビター&スウィートに読み解いたこの本で、わたしはいっぺんにイザベラさんのファンになった(本棚に長く置いてある尾崎紅葉の『金色夜叉』を取り出したのは、イザベラさんのチャーミングな紹介のおかげだ)。著者プロフィールを見る。イザベラさんはヴェネツィア大学で日本語を学び、その後お茶の水女子大学大学院に留学。翻訳の仕事をされながら、日本の古典作品についてのエッセイをウェブで連載するほか、ラジオにも出演されているという。
『女を書けない文豪たち』を読んですぐ、わたしはイザベラさんのデビュー作『平安女子は、みんな必死で恋してた イタリア人がハマった日本の古典』(淡交社)も手に取った。清少納言の「枕草子」や、和泉式部「和泉式部日記」、菅原孝標女「更級日記」などが丁寧に愛情深く解読されていて、もし彼女たちがこれを読んだらさぞかし嬉しいだろう、「蜻蛉日記」を書いた藤原道綱母はニヤリとするかもしれないな、と笑いながら想像した。なんと言っても、現代の、フレッシュな言葉で古典が紹介されている、そのコラボがたまらなく魅力的だった。
スリムジーンズにハイヒール。直接お会いできたイザベラさんは予想通り、颯爽としたすてきな方だった。お話を伺えるドキドキが先走り、せっかく本を持って行ったのに、わたしはサインをいただくのをすっかり忘れてしまった。