日本語を母語としないながらも、今は流暢でごく自然な日本語で活躍している外国出身者は、どのような道のりを経てそれほどまで日本語に習熟したのか。日本語教師の資格を持つライターの北村浩子氏がたずねていく。今回はイタリア出身の翻訳者・文筆家のイザベラ・ディオニシオさんにうかがった。【全3回の第3回。第1回から読む】
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イザベラさんの『女を書けない文豪たち』の中に、日本語には汚い言葉が少ないので〈汚い言葉を真っ先に習いたい留学生は大体みんながっかりする〉というくだりがある。思わず笑ってしまい、あれこれ思い浮かべてみた。××、△△△……。確かに少ないような気はしたけれど、外国語に比べて多いか少ないのかは分からない。イザベラさん、少ないですかね?
「少ないというか、足りないですね(笑)イタリア語とかロシア語とかにはたくさんありますし、自分でも作れます。
日本語は、すごく怒った時、逆に丁寧になりますよね。恋人同士が「どうなさいます?」みたいに言い合ったりする。言葉で距離を作るんですよね。その感覚は面白いと思うんですが、カラフルな罵倒語があったらいいなあとも思います」
カラフルな罵倒語! あったらどんどん使うだろう(内心で)。
そんなふうに「汚い言葉が少ない」と気付くのも学びの賜物だと思うが、大学や大学院以外で、日本語を「習った」ことはなかったのだろうか。
「大学院に入る前、私より少し年上のフリーライターの方と仲良くなったんです。彼女に『書く力をつけたい』と相談したら、先生役を引き受けてくださって、1週間に1回、彼女の家で作文や小論文を教わることになりました」
イザベラさんは分厚いファイルを見せてくれた。鉛筆書きのきれいな字で埋まった作文用紙、小説やエッセイのコピーがぎっしりと入っている。
「この作品の論旨を50字以内で、とか、何がテーマだと思うか、というような宿題を出してもらい、毎回添削してもらいました。文学が大好きなんですと話したら、文芸誌とかから課題を探してくださって、ありがたかったですね。いろいろな表現や書き方のバリエーションも知ることができたし、質問も気軽にできて、本当に楽しかったです」
なんてすてきなレッスンだろう。そのフリーライターの方にとっても、小説の解釈や文章について考えるきっかけになったに違いない。
「日本文学だけじゃなく、とにかく文学が好きで……どうしてそんなに好きなのか自分でもよく分からないんですけど、原語で作品を読んで、感じたことを伝えたいという気持ちがずっと強くあるんですよね。でも文学って、特に古い作品は、国を問わずあまり興味を持たれない。つまらないと思っている人が結構多い気がする。『学校で読まされるやつ』っていう認識。それに納得がいかなくて(笑)『ここが面白いよ』って、自分の言葉で言いたいんだと思います」