体験取材を得意とする女性セブンの名物ライター“オバ記者”こと野原広子氏が、世の中で話題になっていることについて、思いのままに綴る。今回は朝ドラ『らんまん』に関連して、植物に関するお話です。
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朝起きるのが楽しくて仕方がない。
再放送の朝ドラ『あまちゃん』(NHK BSプレミアム)のスチャラカなテーマ音楽で目を覚まし、『らんまん』を見ながら朝食を食べる、ゴールデンな30分のおかげだ。
『らんまん』は植物学者・牧野富太郎の一代記で、私たち世代は誰でも知っている名前だけど、その人物像となるとよくわからない。まさに朝ドラ向きの学者よね。
実は私、道端の雑草名を必死で覚えたことがあるんだわ。そのことが結果的に私の雑草人生に光が当たるキッカケになったんだから、人の運命ってわからない。
昭和46年、私が農業高校に入学したのは、農業に興味があったからでもなんでもない。義父とけんかをして実家を追い出されたからなの。そんな私を地元のある商店主が拾ってくれて、そこに住み込みで働きながら高校に通えることになった。ただし、「学校は地元の農業高校」というのが条件で。
当時、偏差値という言葉があったのかどうか。進学校に行く同級生からは「あそこは自分の名前を書ければ合格するらしいよ」とバカにされた。つまり、私は入学したときから夢も希望も抱いていなかったわけ。
オリエンテーリングで時間割を渡されたときのショックといったらなかった。国数英理社の5教科は数えるほどで、その代わり、農業・畜産・園芸・食品・被服が週に4時間ずつ。「本科は農家の嫁さんの養成科だ。諸君、頑張りたまえ」と言って、英語の教師は「カカカ」と笑ったけれど、こっちは笑いごとじゃない。それに加えて、寝起きして働いている商店は大人だけで、楽しいことなど一つもない。まさにどん詰まり。時間割を見ているうちに涙があふれてきた。
半年が過ぎた。ある日、「ヤマザキさん(私の旧姓)、来年、農業鑑定競技で北陸大会に出ない? 学校は出席扱いで旅行ができるわよ」と、40才手前の女教師K先生が思わぬことを言ってきたのよ。「この前、授業で鑑定競技をしたでしょ。あなたの成績がいちばんよかったのよ」と。
『日本学校農業クラブ連盟』という組織があって(現在もある)、毎年各地で全国大会がある。農業高校の甲子園みたいなものだ。その種目の一部門が「鑑定競技」で、授業で出てきた調理器具や洋裁道具の名称から、稲の病気、豚や鶏の病名などを素早く当てていくというもの。
「ただね。ヤマザキさんの課題は、雑草名がほとんど答えられなかったこと。これをクリアしないと、来年の北陸大会はともかく、再来年に控える北海道大会への出場は難しいわよ」
K先生のこのひと言でちょっとやる気が出た。とはいえ、草の名前なんか覚えて何になる、ときっと私の顔に書いてあったのね。先生は鑑定クラブの主将のツジ先輩を紹介してくれた。そして、ツジ先輩は「もういらないからあげる」と言って、大学ノートを何冊も私に渡してくれたんだわ。
いや、驚いたのなんの。ツジ先輩は長いスカートに髪は激しいレイヤード。どこから見ても「スケバン」よ。なのにノートには雑草が色鉛筆でビッシリと描かれていて、その絵がまたうまいんだわ。「これ、先輩が描いたんですか?」と聞くと、「へたくそだけど、ないよりいいべ?」と照れ笑いを浮かべたけど、どうしたらこんな絵を描けるんだろうと思うくらい精細だった。
翌年の春、私は商店の住み込みをやめて義父にわびを入れ、再び実家に帰ってきた。そして雑草ノートを片手に家の前の畑を歩いて、一つひとつ名前を記憶していったの。オオバコ・ハコベ・ホトケノザ・イヌタデ……。鑑定競技は1問あたりの解答時間が20秒だから瞬発力がものをいう。