元タレントの上岡龍太郎さんが5月19日、肺がんと間質性肺炎のため大阪市内の病院で亡くなっていたことがわかった。81歳だった。
上岡さんは1942年生まれ、京都府出身。1959年、「横山パンチ」の芸名で漫才ユニット「漫画トリオ」でデビュー。1968年に同ユニットが活動停止してからは『ノックは無用!』(関西テレビ)や『ラブアタック!』(朝日放送)などで司会を務め、『探偵!ナイトスクープ』(朝日放送)の初代局長としても人気を博した。関西を代表する大物タレントだったが、以前から公言していた通り、2000年に58歳で芸能界を引退した。
『週刊ポスト』2021年5月28日号では、関係者のコメントをもとに上岡さんの“引退の美学”について報じていた。再録して、その引き際を振り返る。
芸人としてやり切った
地位や権威に恋々とする人の多いなか、潔い引き際を見せた芸人が、上岡龍太郎だろう。「僕の芸が通用するのは20世紀まで」の言葉を残して2000年に芸能界から退いたのは、58歳の時だった。
上岡と仕事を共にした元毎日放送プロデューサーで同志社女子大学メディア創造学科教授の影山貴彦氏が語る。
「引退直前の上岡さんは『やめるでと言えば、もっとみんな“やめんとって”と言うてくれると思っていた。止めるものがおらんからやめるようになってしまった』とメディアで語って笑いを誘っていた。それは上岡さんならではの話芸で、芸人としてやり切ったという思いが込められた言葉だと、私なりに受け止めています」
引退間際の『鶴瓶上岡パペポTV』(読売テレビ)最終回には、共演の笑福亭鶴瓶に加え、明石家さんま、島田紳助らトップ芸人が駆けつけたが、
「上岡さんはしゃべりたおす彼らを俯瞰して操縦しながら、絶妙なタイミングで言葉を挟んで一番おいしいところを持っていく。まったく衰えてなんかいなかった」(同前)
『上岡龍太郎にはダマされないぞ!』(フジテレビ系)でサブ司会を務めた山田雅人はこう回顧する。