1973年に放送開始された『ひらけ!ポンキッキ』に登場したガチャピンとムックは、今年で50周年を迎えた。いまや国民的キャラクターに成長した彼らの活躍を見守ってきたキーパーソンが、番組の歴史を振り返りつつ、彼らが愛される理由を教えくれた。
『ひらけ!ポンキッキ』は、1969年に日本で放送が始まったアメリカの子供向け番組『セサミストリート』(NHK)をモデルに作られた民放初の子供番組だ。当時は、人間の子供に代わり、恐竜と雪男の子供が登場するという設定も新しかった。
「ガチャピンとムックが生まれた経緯は、当時の記録がないのでわからないのですが、20年後に私が引き継いだときも『ガチャピン=恐竜の子供でおっちょこちょい、ムック=雪男の子供で花が好きな優しい子』くらいで、細かな設定はありませんでした」と振り返るのは、『ひらけ!ポンキッキ』の後継番組『ポンキッキーズ』(1993年)を担当していた山田洋久さんだ。
30分の中に短いコーナーを組み合わせた構成も個性的だった。
「発達心理学の研究者や幼児教育の専門家も加わり、“子供が集中でき、かつ知識を養えるコンテンツとは何か”を相当研究したと、当時の担当者から聞いています。
さらに、子育て相談や子供の発達診断も行っていたとか。いまでは想像もつきませんが、かつては『母と子のフジテレビ』を標榜していたんです」(山田さん)
番組では、ガチャピンとムックが5才の目線で遊びや学びを体験するが、時に子供らしからぬ挑戦をすることもあった。
現在放送中の『ガチャムク』(BSフジ)のプロデューサーを務める石橋広大さんは、それについて、次のように説明する。
「ガチャピンが高難度のスポーツに挑む『チャレンジシリーズ』は、『ポンキッキーズ』から始まりました。実は、ガチャピンは1970年代から海外でスキーをしたり、南太平洋の海を潜ったりしていたんです。“人間ができるものはガチャピンにもできる!”とチャレンジを続けるうちに、どんどん規模が大きくなりまして……」
短い手足で断崖絶壁をよじ登り、スキージャンプを飛ぶ姿はただただ驚異的だが、重要なのはその部分だけではないという。
「何回かに分けて1つの挑戦を放送していましたが、そのほとんどは失敗の場面で、それでも諦めずにやり続け、最後にようやく成功する。その姿に感動する人が多かった。それは大人だけでなく、子供たちにも“自分もやってみよう”と挑戦する気持ちを持ってもらえたと思います」(石橋さん)
また、『およげ!たいやきくん』(1975年)はじめ、番組から生まれた名曲も数多い。