3つ目は「部下にある人は現状に満足していて上司を絶対に裏切らない」。助さんも格さんも弥七も八兵衛も、黄門様という権力者に仕えることにアイデンティティと満足感を覚えているように見えます。そんな光景のせいで、私たちは「身分をわきまえて、欲を出したりせず現状維持で生きるのがいちばん」と思い込まされているのかもしれません。
4つ目の「儲かっている大店は裏で政治家とつながって悪事を働いている」という偏見も、私たちの心に根深く刻まれています。それがあながち間違いではないと証明するニュースも多いですが、政治家とは無関係で地道に頑張って儲けている会社にとっては、とんだトバッチリ。これは『水戸黄門』だけではなく、ほぼすべての時代劇によって刷り込まれたバイアスですね。
最後の5つ目は「美しい女性が湯船につかっている光景は極めて魅惑的である」。豆知識ですが、入浴シーンが印象的な由美かおるは、黄門様役が東野栄治郎から西村晃に代わってしばらくした第16部(1986年~87年)からの登場(2010年まで)。全裸で入浴していたわけではなく、ベージュの水着を着ていたとか。余計な情報でしたね。すみません。
それはさておき、あの入浴シーンが魅惑的だったおかげで、私たちは肌を見せてくれている女性に、とにかくありがたみを感じなければいけないという呪縛に囚われています。でもまあ、それはべつにいいか。また、テレビを通じて、女性の入浴を覗き見していたという一面もあります。そのときの胸のときめきが癖になって、人生を踏み外した人もいるかもしれません。だとしたら、『水戸黄門』の罪は果てしなく重いと言えるでしょう。
こうして見てみると、現在の日本を覆っている価値観や風潮に、『水戸黄門』は小さくない影響を与えています。最初に出た「ドラえもん」もですが、「サザエさん」も「ちびまる子ちゃん」も「キャンディキャンディ」も「クレヨンしんちゃん」も、同様に小さくない影響を与えているはず。ああ、恐ろしきかなバイアスの呪縛。
ただ、同時にあらためて実感したのが、過去の作品に対して、今の価値観を元にあれこれ文句をつけるくだらなさと危険性です。私たちがアニメやドラマを見て感じることや受ける影響は、そんな単純なものではありません。わかりやすい構図を切り取れば、たしかにもっともらしい理屈は付けられます。しかし、それはしょせん後付けの難癖です。
ネタにさせてもらった『水戸黄門』には、たいへん申し訳ないことをしました。難癖をつけて被害者気分を味わう無意味さを強調するためということで、なにとぞご容赦ください。私たちが全力で振り払うべきは、都合の悪いことは過去に原因を求めると便利というバイアスや、バイアスは無条件に悪者扱いすべしというバイアスかもしれません。