【書評】『鈍色幻視行』/恩田陸・著/集英社/2420円
【評者】鴻巣友季子(翻訳家)
豪華客船という密室で行われる謎とき──といっても、アガサ・クリスティーの『ナイルに死す』のように、船中で誰かが殺されたりするわけではない。
謎ときの対象は、「呪われた小説」と称される一冊の本と、それを書いた飯合梓という作家。呪われているというのは、この小説『夜果つるところ』は過去に三度の映画化と一度のテレビドラマの制作が進みながら、毎回関係者の死で計画が頓挫し、映像がお蔵入りしているからだ。
本作は、この小説と映画の関係者十二人が一堂に会し、多くの不審死と謎めいた作者の真相を掴もうと議論するという異色ミステリーだ。意外な事実が明かされ、意外な人物同士が繋がっていく。
クルーズ船に乗りこむのは、一癖ありそうな十二人。主な語り手と視点人物になるのは、小説家・蕗谷梢と弁護士の夫・雅春だが、梢は船中の取材をもとに何か書こうという野心と同時に、夫の内心を探ろうともしている。雅春の前妻は実は『夜果つるところ』の三度目の映画化で脚本を担当した人物で、書きあげた直後に自死。そんな重大な事実をなぜか梢に話していない。雅春は好人物だが、本心を誰にも見せないところがある。
雅春の義理いとこにあたる姉妹の片方は雅春に好意があるらしいし、姉妹のどちらかの父親が一度目の映画化のときの助監督だという噂もある。さらにこの監督の前妻である女優も『夜果つるところ』の映画撮影中に死亡しているのだ。はたまた……。
作者の飯合梓も謎だらけだ。生きているのか、死んでいるのか。男性か、女性か。飯合はメシア(救世主)とも読めるし、梓という木は古くは弓に使われ、「梓弓」という枕詞にもなっている。
作中には『青ひげ』『太陽がいっぱい』『ゲームの規則』『私家版』など様々な名作の引用が鏤められ、ヒントやミスリードをも張りめぐらせる。並外れた間テクスト性をもつメタ・ミステリーだ。クルーズ船は死者たちも乗せて進む。真実は虚構の中にある。
※週刊ポスト2023年6月9・16日号