テレビ朝日が新設した日曜22時のドラマ枠で放送されている『日曜の夜ぐらいは…』。このタイトルもあって、ストーリーも“日曜の夜”を強く意識しているものと思われたが、その内容を巡って、視聴者の間で論争が起こっているという。コラムニストでテレビ解説者の木村隆志さんが解説する。
* * *
今春、テレビ朝日系・ABCテレビが制作する日曜22時台のドラマ枠が新設され、第1弾の『日曜の夜ぐらいは…』が放送されています。
新ドラマ枠のコンセプトは「見る人の背中を押す作品」。名刺代わりのような1作目に選ばれた『日曜の夜ぐらいは…』は、「清野菜名さん、岸井ゆきのさん、生見愛瑠さんが演じる女性3人が友情を育む物語」と予告されていました。
また、オリジナル脚本を担うのが、『ちゅらさん』『ひよっこ』(NHK)、『にじいろカルテ』(テレビ朝日系)、『姉ちゃんの恋人』(カンテレ・フジテレビ系)、『泣くな、はらちゃん』(日本テレビ系)などの牧歌的な作風で知られる岡田惠和さん。そのタイトルもあって、「月曜からの仕事や学校がチラつく日曜22時台に、癒しを感じられるドラマになりそう」という声があがっていました。
しかし、4月30日のスタートから約1か月が過ぎた現在までの声を見ていくと、「3人に癒される」「やっぱり岡田さんの脚本はほっこりする」「私も頑張ろうと思わせてくれるドラマ」などのポジティブな声と、「暗くて重いシーンが多くて疲れる」「まったく理解・共感できない」「日曜にイライラするのは嫌なので離脱」などのネガティブな声で二分されています。
SNSやドラマのレビューサイトなどで、「このドラマは本当に癒されるのか?」というちょっとした論争もあるように、『日曜の夜ぐらいは…』は癒されるドラマなのでしょうか。さらに、ドラマ枠がひしめく日曜夜の中で、この枠はどんな可能性を秘めているのでしょうか。
思っていたより厳しい物語だった
「このドラマに癒されている」という人々がその理由にあげているのは、3人が集まったシーンの楽しげな会話劇。清野さん、岸井さん、生見さんのナチュラルな演技もあって、大人になって友人ができたときのうれしさや、「会いたい」という気持ちが一致したときの幸せなどを感じているようです。
一方、「このドラマは癒されない」という人々がその理由に挙げているのは、物語の設定と展開の厳しさ。岸田サチ(清野菜名)は、車イス生活の母を介護しながら、ファミリーレストランで休みなく働き続けるヤングケアラー。野田翔子(岸井ゆきの)は、元ヤンキーで家族に縁を切られ、孤独に生きるタクシー運転手。樋口若葉(生見愛瑠)は、毒母のせいで白い目で見られながら育ち、現在は茨城で祖母と暮らしながら、ちくわぶ工場勤務の女性。
3人の友情を強調するためなのか、ファミレス、タクシー運転手、食品工場の仕事を「ただつらいものとして描いている」ことが気になっている人が少なくないようなのです。「職場や社員に問題があってつらい」のならいいけど、「仕事そのものがつらいもの」として描かれていることが気になるのでしょう。
さらに、サチは母・岸田邦子(和久井映見)と離婚して出て行った父・中野博嗣(尾美としのり)、若葉は毒母・まどか(矢田亜希子)から金をたかられている。翔子は兄・敬一郎(時任勇気)から遺産放棄を切り出されたほか、自分のことを覚えていなかった旧友から美顔器を売りつけられ、コンビニで落下した大量の商品をなぜか弁償させられるシーンがあった。
これらの厳しい設定や展開を理由に、「最後まで見ていたら感動できるのかもしれないのはわかっているけど、そこまで我慢したくない」という声があがっていました。その人たちに言わせれば、「だって、日曜の夜ぐらいは…(我慢しながら見たくない)」のでしょう。