江川より投球に苦しんだ
江川:僕は4年目で肩を痛めたんですけど、それまで球が速かったのでそれほどコントロールを重視してなかった。ところが肩を痛めたことによって、打ち取れなくなり、コントロールを覚えようとしたんですね。生きる道を考えると、球種も増やせないしコントロールとバッターの性格を知るっていうことに特化するしかなかった。なんとかやれたって感じですね。
江夏:18年プレーした人間と、半分の9年しかやってない人間の差は出てるよね。やっぱり俺は江川には失礼だけど、少なくとも江川よりもピッチングというものに対して苦しんだ人間だから。それは肩が痛い、肘が痛い、嫌というほど味わった。それでも投げたもん。
それこそ、脂汗流して投げて、投げて、投げ込んで、最終的に江夏豊がリリーフでなんとか飯食えるようになった。たしかに肩が痛い時や肘が痛い時にボールを投げるのはつらいよ。でも、俺は乗り越えたから。朝顔を洗えない、箸も持てない、そんな時でもボールだけは持てるんだから。
江川:僕なんかより大変なご苦労をされたなかで18年間第一線で投げ続けられ、心から感服いたします。生意気なことをいろいろと言い、失礼しました。
江夏:いや、お前さんはほんとに凄い球を放っていた。ただ残念なのは、もう少し配球を勉強してくれていればもっともっと活躍できた。少なくとも9年で終わるようなことはなかった。ちょっと辞めるのが早かったな。
江川:今日は何を言われても完敗です。やっぱりオールスターであと一個三振取って並んでおけばよかったなぁ(笑)。
(了。第1回から読む)
【プロフィール】
江夏豊(えなつ・ゆたか)/1948年、兵庫県生まれ。1967年に阪神タイガース入団後、南海、広島、日本ハム、西武と渡り歩く。1984年に引退。シーズン401奪三振、最優秀救援投手5回は現在も日本記録。通算206勝、193セーブ。オールスターでの9連続奪三振、日本シリーズでの「江夏の21球」など様々な伝説を持つ。
江川卓(えがわ・すぐる)/1955年、福島県生まれ。作新学院にて数々の記録を達成した後、法政大学に進学しエースとして活躍。米・南加大野球留学を経て、1979年に読売ジャイアンツに入団。MVPなど多数の記録を残し、1987年に引退。現在は野球解説など多方面に活躍中でYouTubeチャンネル「江川卓のたかされ」が話題。
【聞き手】
松永多佳倫(まつなが・たかりん)/ノンフィクション作家。1968年、岐阜県生まれ。琉球大卒業後、沖縄に完全移住し執筆活動開始。『確執と信念 スジを通した男たち』(扶桑社)、『第二の人生で勝ち組になる 前職:プロ野球選手』(KADOKAWA)など著書多数。
※週刊ポスト2023年6月9・16日号