【書評】『日本エッセイ小史』/酒井順子著/講談社
【評者】嵐山光三郎(作家)
一九八五年に始まった講談社エッセイ賞の第一回受賞作品は野坂昭如『我が闘争 こけつまろびつ闇を撃つ』と沢木耕太郎『バーボン・ストリート』で選考委員は大岡信、井上ひさし、丸谷才一、山口瞳の四氏。第二回は吉行淳之介と景山民夫、第四回は嵐山だった。同賞は酒井さんはじめ多くの逸材を発掘してきたが「エッセイとはなにか」という論議は曖昧なままで二〇一八年に幕を下ろした。
日本の三大随筆は『土佐日記』『枕草子』『徒然草』であるがそれが時間をへてエッセイになっていった経過をわかりやすく記録する。小池真理子『知的悪女のすすめ』林真理子『ルンルンを買っておうちに帰ろう』が転機となり、向田邦子『父の詫び状』が大評判になった。さらに黒柳徹子『窓ぎわのトットちゃん』永六輔『大往生』が、尋常ではないベストセラーで社会現象となった。
コラムが「エッセイ」に変わり椎名誠が「昭和軽薄体」で書いた『さらば国分寺書店のオババ』がベストセラーとなり、文庫版あとがきで「嵐山、糸井重里、東海林さだおの影響をうけた」と書いてくれたから、旧派の博学読者から強い反発をうけて「私のはちょっと似ているけど違います」と弁解した。話し言葉を活字化するのは明治の言文一致(山田美妙)からの課題で、やってみると難かしいんですよ。
昭和軽薄体は、じつは明治、大正からの筆法で、椎名氏が自嘲的に言ったのだが、赤瀬川原平が弟子の南伸坊らと散歩する路上観察学会を設立し『老人力』(「老化」や「衰え」を「老人力がついた」という逆転の発想)がブームとなった。
作家の娘のエッセイ(吉本ばなな、江國香織、井上荒野、三浦しをん……)がドトーの勢い。阿川佐和子、檀ふみの共著『ああ言えばこう食う』が講談社エッセイ賞を受賞した。貧乏自慢、食い道楽、アチコチ旅行記、失恋話、ダイエット記録。「人はなぜエッセイを書くのか」。かくして高齢者(新老人)による老活エッセイが書店に並んでいる。
※週刊ポスト2023年6月23日号