「不遠慮なる行動」を戒める
さて、あなたがその時代の日本国民だったとして、この南京事件の報道を見てどう思うか? 金さえもらえば「敵」であっても見逃す現場の兵士のモラルの低さ、そして金が尽きた途端に冷酷に丸腰の人間を射殺する野蛮さ、文明国とは到底言えない無法地帯、それが当時の中国の実態であった。ただちに軍隊を派遣して中国を膺懲(=懲らしめる)すべきだという世論が新聞報道によって盛り上がったのだが、それに冷水を浴びせたのが外務省の阿部守太郎政務局長だった。一九一三年(大正2)九月一日に南京事件が起こって四日後の九月五日付の『東京日日新聞』(現在の『毎日新聞』)には、「賠償要求の程度」という小見出しで「阿部政務局長談」が載っている。
〈南京に於て在留邦人が張勳の兵に掠奪の害に遭ひたるのみならず邦人三人が慘殺せられたるは實に遺憾に堪へざる所にして支那政府に對し嚴重なる交渉談判を開始すべく該報告に接するや直に事實の調査を山座公使に電訓したれば不日詳細なる報告に接すべし而して之が善後策として世論は問責師を派すべし陸軍に命じ要地を占領して嚴重なる談判を試むべし等と輿論の沸騰却々に甚だしきものあるが如し然れども之に關する詳細なる報告に接せざる以上確言し難きも這次の事件は左程重大なる如く考へ得ず元より責任ある張勳の兵に慘殺せられし事なれば團匪の爲め慘殺せられしとは趣を異にするを以て直に問責の師を派すべし等唱ふるは早計なりと云はざるべからず尚如何の程度に賠償を要求すべきか懲罰的意味を含むや否や等は未だ確定し居らず外務は輿論を容るゝは元より乍ら國家の体面を保つ爲め某國の如き不遠慮なる行動に出で他の感情を害するが如きは考へものならん云々〉
ところどころわかりにくい言葉があるので解説しよう。まず「張勳」とは、北軍の南京占領軍の指揮官である。「電訓」とは電報で訓令を出すこと。「師」とは軍隊のことで、「無名の師」なら「大義名分無き軍事行動」の意味になる。「這次」は「このたび」。「團匪」は「国家の統制に属さない野盗や匪賊」(「匪賊」とは「徒党を組んで略奪・殺人などを行う盗賊」『デジタル大辞泉』)である。
要するに阿部は、事件については現在調査中で詳細な報告が上がってくるまでは慎重な態度をとるべきである。これが匪賊の仕業ならば日本人の安全を守るために陸軍を派遣するということもありうるが、北軍の兵士によって日本人が殺されたことはあきらかなので、外交交渉によって問題を解決すべきである。一部で叫ばれているような「問責の師を派すべし」とか「國家の体面を保つ爲め某國の如き不遠慮なる行動」に出るべきでは無い、と言っている。
それでは「某國の如き不遠慮なる行動」とはなにを指すかと言えば、同じ紙面の「近事片々」を見れば一目瞭然である。このコラムは現在の『毎日新聞』にも存在するが、『読売新聞』の読者には「よみうり寸評」、『朝日新聞』の読者には「素粒子」と同じものだと言えばわかるだろう。短文で社会問題を批評するやり方である。たとえば、二〇二三年五月二十二日付夕刊の「近事片々」には、「『広島のように、私たちの町も再建したい』。来日したウクライナのゼレンスキー大統領、停戦への思いにじませ」とある。
それでは、阿部局長の談話と同じ紙面にある「近事片々」にはなんと書いてあるか?
〈▲善後 の處置は獨逸の膠州灣占領に倣ふ可き耳を戸水博士の論亦傾聽に値ひす〉
戸水博士、常に対露強硬論を唱え、ポーツマス条約締結にも徹底的に反対した、あの戸水寛人である。
(1384回に続く)
【プロフィール】
井沢元彦(いざわ・もとひこ)/作家。1954年愛知県生まれ。早稲田大学法学部卒。TBS報道局記者時代の1980年に、『猿丸幻視行』で第26回江戸川乱歩賞を受賞、歴史推理小説に独自の世界を拓く。本連載をまとめた『逆説の日本史』シリーズのほか、『天皇になろうとした将軍』『「言霊の国」解体新書』など著書多数。現在は執筆活動以外にも活躍の場を広げ、YouTubeチャンネル「井沢元彦の逆説チャンネル」にて動画コンテンツも無料配信中。
※週刊ポスト2023年6月23日号