放送作家、タレント、演芸評論家、そして立川流の「立川藤志楼」として高座にもあがる高田文夫氏が『週刊ポスト』で連載するエッセイ「笑刊ポスト」。今回は、何かと難しい男同士の関係について綴る。
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男にはみっつしか種類はないと(勝手に)思っている。ずっと格好いい男、かなり賢い男、そしてふざけた男である。75年間ずっとずっと格好いいままでまだ突っ走っている人。戦後幾多のエンタメがあろうともぶっちぎりの1位が永遠のジュリー、沢田研二である。
昭和23年6月25日、まったく同じ日に私と沢田研二は生まれた。スターという意味では75年間を二人三脚で(多分)歩んで来た人生である。誕生日のこの日、ジュリーはとてつもなく大きな“さいたまスーパーアリーナ”でツアーのファイナルを迎える。私にはWOWOWの生中継でそれを見る楽しみ、ここまで走り続けたことを同い歳として嬉しく誇りに思う。
世の中でジュリーから赤いカーディガンをプレゼントされたことのある人っていますか? ジュリーから贈られてきた千枚漬で朝御飯食べたことある人って私以外にいます? たった今あがってきたイラストを見て「あらっオレ?」と一瞬本気で思いました。祝・天下の沢田研二18歳のあの日“タイガース”がテレビで『僕のマリー』を歌ってデビュー、即大スター。私は江古田の“鳥忠”の2階の宴会場でそっくりに『僕のマリー』を熱唱してひたすら“笑い”だけを獲っていました。あの日から57年間、時の過ぎゆくままにまだまだ前へと進む。
ふたつめは賢い男、そう上岡龍太郎(81歳)が亡くなった。つかみは「芸は一流、人気は二流、ギャラは三流。恵まれない天才、上岡龍太郎です」。私は作家をやりながら談志の弟子となり、芸界でなめられないようにちゃんと“落語”をやり、10年間紀伊国屋ホールで独演会を開いた私をみて「“ギャグ”は申し分なし、マスコミでの影響力、客の動員力、すべて申し分なし。“落語”のために真打とします」とお墨付きをもらい、1988年、真打昇進の披露目。