昨年末、あの井上尚弥に「勝つ自信がある」と語り、物議を醸した亀田三兄弟の3男・亀田和毅(31)。彼と二人三脚のパートナーを務めるのが協栄ジムの金平桂一郎元会長(57)だ。協栄ジムとの騒動から自身の転落、崖っぷちから這い上がるきっかけになった“あの選手”、そして亀田和毅との再出発について話を聞いた。【前後編の前編】
名声を手にしながら、還暦を前にどん底も味わった。ゼロからの再出発。そう胸に秘めて、大阪で再起を掛ける人物がいる。昨年12月27日にプロボクシングジム『TMK GYM』の会長に就任した金平桂一郎氏である。
金平氏は元WBA世界ライトフライ級王者の具志堅用高ら13人もの世界チャンピオンを輩出した『協栄ボクシングジム』の会長を長らく務め、2005年には、当時大阪で脚光を集めていた亀田三兄弟を『協栄ジム』に移籍させた功績者でもある。
そんな名門『協栄ジム』の会長だった金平氏が、一体なぜ大阪にある『TMK GYM』の会長となったのか。それは『協栄ジム』の経営を巡る騒動が深く関係している。スポーツ紙記者がこう説明する。
「協栄ジムの実質的なオーナーと金平会長の対立が明るみに出たのは2019年12月のこと。オーナー側が金平氏にクビを宣告すると、金平氏は対抗してジムの休会届を東日本プロボクシング協会に提出したのです。騒動は泥沼化して訴訟沙汰にまで発展。このトラブルを境に金平氏はボクシング界からいったん離れました」
表舞台から約3年間姿を消していた金平氏。それが、昨年末に亀田和毅が設立した『TMK GYM』の会長に就任して周囲を驚かせたわけだ。
その経緯を金平氏に尋ねると、「この3年の間に、僕自身にも色々とありました。どん底の底に背中が付いた、と思った時期もありました」と告白する。協栄ジムの休会届を提出後、生活は激変したという。
「協栄ジムの先代の会長である、父親が亡くなったのは1999年3月26日。その翌月1日から僕が会長職を引き継ぎ、それからは寝ても覚めてもボクシング一色の人生でした。2019年12月に休会届を提出したんですが、休会する少し前には離婚も経験して、今は家族もいない独り身です。(そんな状況下で迎えた)正月は物凄く寂しいものでした。ボクシングから離れると周りから人が去っていき、誰からの電話もなくなった」
苦悶はまだ続く。2020年2月以降、世界中で新型コロナが猛威を奮う。ボクシングから離れていた金平氏は生活苦に陥る。
「生活を続けるには仕事をしなければなりません。外出禁止のコロナ禍で正直、焦りもありました。YouTubeを手探りで始めて、紹介された環境関連の仕事もしたんですが、十分な収入が得られない。生活はどんどん厳しくなる一方で、時間だけはあっという間に過ぎていく訳です。ついには2021年5月3日、僕がコロナに感染してしまった。高熱で呼吸も苦しいので病院に駆け込むと、すぐに入院が必要と言われて、それからは高熱でうなされて肝炎にもなった。計18日間の闘病生活でした」
独りでの闘病生活では精神状態も不安定になった。「すべてが終わった」と失意に暮れていたが、コロナ感染症の入院患者が増加する中で「入院できたのは、まだ運がある」と少しでも前向きに考えるようにしたという。