【書評】『サーカスの子』/稲泉連・著/講談社/2090円
【評者】関川夏央(作家)
著者・稲泉連は一九八〇年代、四歳から五歳にかけての一年間、サーカス団にいた。芸をしていたのではない。三十歳を過ぎて息子・連を生んだ母親(のちの作家・久田恵)は三十五歳で離婚、一人親となった。アルバイト暮らしと保育園になじまない息子に疲れた母親は、息子を育てるためにサーカスの住み込み炊事係となったのである。
二〇二一年、書き手となっていた息子は、当時のサーカスの仲間を全国に訪ねた。遠い歳月を隔てての再会なのに、みな連を「れんれん」と呼び、「れんれんは泣き虫だったね」といった。
一九四二年に旗揚げしたキグレサーカスは、全国の祭りをめぐる数日間の「掛け小屋」興行から、一九七〇年代、最大三千五百人を収容できる「大テント」に転換した。周囲に本部や住居用テントを張って「村」をつくり、一カ所二カ月間の興行を行った。
キグレは曲芸の連続より、「物語」としてのショーを特徴とした。喜劇役者にして演出家・三木のり平が構成したそれに、パリのキャバレーのような、大きな羽つきの派手な衣装を加えた。
「非日常」が連続する「日常」という不思議な時間が流れるサーカスの空間は、「家族」に似て、もっとゆるやかな結びつきで満たされていた。そんな「村」が、二カ月ごとの「場越し」(移動)では一夜にして姿を消し、また別の街で「村」をつくるのである。
一九七〇年代後半から八〇年代前半が全盛期であったキグレサーカスは、二〇一〇年秋に廃業した。この本は、著者が幼年時代に見知っていた団員たちのその後を知りたいという動機で着手されたが、結果として作家自身の原点探求につながった。
彼が「表現」というものに初めて触れたのは、子どもながらにサーカス芸の「切実な美しさ」に感動した瞬間であった。そして、キグレのショーの構成と演出に「物語」の魅力を発見した稲泉連こそ、まさに「サーカスの子」であった。
※週刊ポスト2023年7月14日号