安倍晋三・元首相が街頭演説中に凶弾に倒れてから、7月8日で1年を迎える。安倍氏の絶大な影響力は、彼亡き後の政界の混迷を見るにつけ、むしろ死後に高まったようにすら思えてくる。改めて、そこまでの権勢を誇った安倍晋三は、一体どのような人物だったのか。高市早苗・経済安保相(62)が振り返る。
* * *
私は果たして安倍総理と仲が良かったのか悪かったのかわかりませんが、電話やメールでよくやりとりしました。
ある時、「顔がラクダに似ている」と伝えたらムッとされましたが、持久力があって、コブにエネルギーをため込み、何日か水も飲まなくても大丈夫。そういうところも安倍総理に凄く似ていると申し上げると、「なるほど」とドヤ顔に。安倍総理はとても寒がりで、夏に官邸に行くととても暑い。総理が寒がりなのでそんな温度調節がなされていたそうです。だから安倍内閣後は、官邸は涼しくなった。ラクダは汗をかかないので、ナルホドなと(笑)。
それからラクダは怒ると怖いらしいのですが、そこも似ているんです。
一番きつかったのは2012年総裁選の1年前に私が清和会(当時は町村派。現在の安倍派)を抜けた時でした。すでに町村(信孝)会長が翌年の総裁選に立候補の意向を示しておられたものの、もう一度安倍さんを総裁にしたいと思って派閥を抜けたという理由を知った安倍さんから、「自分は次の総裁選に出るかどうかわからないのに、一人になっちゃってどうすんだよ!」と怒鳴りつけられた。
政策をめぐっては何度も衝突しました。米国でトランプ大統領が就任してTPP離脱を決めた時、私が「チャンスじゃないですか。TPP11(か国)でいきましょう」と言った時が一番長引きましたね。
米国の再加入を待つのではなく、11か国でスタートさせたら、経済規模から見ても日本が主導権を握れる。そのほうが良いと会議で言ったら、外務大臣も経産大臣も怒って、安倍総理も不愉快な顔になって。菅義偉・官房長官が「今の話はなかったことで」と収めてくれましたが、総理は長いこと私と目も合わさず、口もきかずということが続きました。
何か考え方がすれ違った時、私も一歩も引かず言い返してしまう。もろに楯突くわけですから。だから怒ったんですね。