放送作家、タレント、演芸評論家、そして立川流の「立川藤志楼」として高座にもあがる高田文夫氏が『週刊ポスト』で連載するエッセイ「笑刊ポスト」。今回は、同い年の柄本明と、ラジオ番組に遅刻したマシンガンズからの“おわびの印”について綴る。
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前回は同じ昭和23年6月25日生まれの沢田研二をイラストでも描いてもらいましたが、先日はまた同じ23年生まれと会ってトーク。同い年というのは何か親しみがわいていいものだ。柄本明74歳。なかなかの曲者。怪優である。
巷の伝説では、下北沢を歩けば必ず柄本明に会うというもの。すれ違ったら手を合わせるといい事があるという噂(本当か)。「何年下北沢に住んでんの?」「50年」「オレも子供の頃あの辺にいたけど……あれっ確か粋な木挽町生まれだよネ?」。銀座の歌舞伎座の裏が木挽町。
以前あの裏道を私が歩いていたら印刷所のおっちゃんと目が合い「あれっ高田さん? なに? 柄本の家探してんの? ここ行って左。そこを右に行くとなぎら健壱が生まれたところ。ここまっすぐ行けば今の馬生が住んでるから寄ってけば」だと。下町と少し山の手がブレンドされたいい町である。
柄本にきくと「父も母も芝居が好きでさ、あっそうそううちのお爺ちゃん、“箱屋”やってたのよ。珍しいだろ。そりゃこうなるよ」。今の人には分からないと思うが“箱屋”というのはBOXを作る訳ではなく、花街などでお座敷へ出る芸者衆について箱に入った三味線等を持って行く男衆。芸者衆の身のまわりの世話など今で言えばマネージャーか。ある意味筋金入りの道楽者である。中村勘三郎(勘九郎)、志村けんと丁丁発止やりあった芝居・コント経験を誇りに生きている同い年。心強い。
『THE SECOND』で決勝まで奇跡的に行った東京漫才のマシンガンズ。急に忙しくなり、ハードスケジュールに馴れていないから身体が追いつかない。私の番組には時間が無いというので生放送の前、午前中に一本録音しようとなっても、ゴミ清掃員をやって本も出してる滝沢しかいない。「もうまわしましょ」の声で片方と喋ってると40分遅刻で西堀(発明家)が土下座でそっとスタジオへスネークイン。「ハイ時間です」。翌日から行くラジオ、仕事で「せっかく復活したのに、もう高田センセしくじったんだって?」とサンドウィッチマン、爆笑問題、有吉と関東のうるさ方にはすでに噂が。
翌週西堀が「おわびの印です」と持ってきたのが立派なキャンドル・ジュンのキャンドル。家へ持ち帰ると孫たちが「爺ちゃんの父の日とBD一緒にやろう」とケーキを持ってきた。早速そのキャンドルを灯した。「さすが爺ちゃんのキャンドルは大きい」と大好評。テレビではあの記者会見。
※週刊ポスト2023年7月14日号