安倍晋三・元首相が街頭演説中に凶弾に倒れてから、7月8日で1年を迎える。安倍氏の絶大な影響力は、むしろ死後に高まったようにすら思えてくる。改めて、そこまでの権勢を誇った安倍晋三氏は、一体どのような人物だったのか。元防衛相の稲田朋美氏(64)氏が振り返る。
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「闘う政治家」として目をかけてくださって、大臣にも抜擢していただいた。一番指導してもらったと思います。
政策面では激しい議論もしました。とくにお亡くなりになる前の1年くらいは直接お話しする機会が多かった。「何であなたはそんなにわからず屋なんだ」と言われたこともあります。
私は戦後レジームからの脱却や憲法改正、東京裁判の歴史認識などについては安倍総理と完全に一致していましたが、経済財政のあり方とか、社会的マイノリティに対する視線などは少し違うところがあったんです。
安倍総理は基本的に積極財政派でしたが、私は財政規律は失ってはいけないと考えている。それと私は結婚前の旧姓を法的に使える「婚前氏続称制度」という新たな制度を提案しているんですけど、そういうテーマについても議論をしました。
私は率直な人間なので違うことは違うと言う。安倍さんは総理までされた大先輩の政治家ですが、私の意見をはっきり言うことができる方でした。批判されても、怒るのではなく、「あなたの言うことはわかるけど、言い方を変えるべきだ」とか、発信の仕方や媒体の選び方、そういうものについても心配していただき、アドバイスもしてくださいました。
弟子のくせに申し訳ないとも思うのですが、盲従することが弟子じゃないと思う。
実は、私は安倍さんから(愛称の)「ともちん」と呼ばれたことはないんです。政治家の中で私のことをそう呼んでいた人もいたので、ほかのところでは言っていたかもしれませんが、直接安倍さんの口からは聞いたことがありません。
銃撃事件の直前、安倍総理からショートメールをいただいたんです。翌日に福井入りしていただく予定だったので、その打ち合わせのために「夜に電話する」と書いてあった。返信はしたのですが、既読になっておらず、おそらく見ていただけなかったと思います。声も聞けなかった。つらかったです。
【プロフィール】
稲田朋美(いなだ・ともみ)/1959年生まれ。早稲田大学法学部卒業。1982年、司法試験合格、1985年、弁護士登録。2005年、初当選。防衛大臣、自民党政調会長、同幹事長代行などを歴任。福井1区選出、当選6回。
※週刊ポスト2023年7月14日号