「空き家」の増加に伴い、近隣トラブルが増え始めているという。ラブリンこと片岡愛之助も、その“難題”にぶつかっていた。空き家を“放置”する理由はさまざまだが、彼の場合はどうか──。
大阪府堺市にある閑静な住宅街。ひとりの高齢女性が歩みを止め、一軒の住宅を不安そうに見つめていた。視線の先にあるのは、約120平方メートルの敷地に建つ木造2階建てだ。赤茶色に錆びた門扉の向こうに建つ一戸建ては屋根の青い瓦が剥がれ落ち、瓦を保全するためのブルーシートは経年劣化でボロボロに破れている。さびれた庭には伐採した木やひび割れた植木鉢が放置してあり、家主が去って久しいことが一目でわかる。
朽ちたこの家は、若き日の片岡愛之助(51才)が過ごした実家だ。歌舞伎界を代表する名優の実家はいま、地域の「難題」になっている。近隣住民が語る。
「この家はもう10年以上誰も住んでいないんですよ。2年くらい前に屋根の瓦が剥がれ落ちて危ないということで、誰かが行政に連絡を入れてくれたのか、業者が来てぐらついていた瓦を何枚か外し、“応急処置”としてブルーシートをかけていきました。でも修繕されないままで、いまではブルーシートが見るも無残に破れています。台風が来るたび、瓦が飛んでこないかとヒヤヒヤしています」
別の近隣住民も打ち明ける。
「もう長いこと空き家なのに、カーテンはそのままで、生活感は残っているんです。門を開ければ敷地内に入れるので、不審者が住みつかないかハラハラしています。割れた植木鉢が道路沿いの庭に無造作に積まれていて、何かの拍子で崩れてこないか心配。片付けてほしいのですが……」
この家は、もともと愛之助の祖父の名義だった。1999年に愛之助の母親が亡くなり、後を追うように翌年、父親が他界すると、愛之助の妹が相続した。しかし、妹が2005年に結婚して家を出ると誰も住まない空き家になった。愛之助の両親と親交があったという知人が語る。
「妹さんはたまに実家の様子を見に来るようですが、愛之助さんと紀香さん(52才)の姿は見かけないですね。
ご両親が健在の頃は、このあたりにも愛之助さんを応援する人がたくさんいたんです。だから、あの家が愛之助さんの実家だということはみんな知っていますよ。でもふたりが亡くなってから近所との交流がなくなり、“他人様”になってしまいました。そろそろ何とかしてもらいたいのが正直なところですが、直接本人たちに言うのも……」
幼い頃から子役として活躍し、若くして歌舞伎界でも注目を浴びた愛之助は地元では愛された存在だった。2014年からは堺市の「親善大使」を務め「本籍も実家も堺」と公言。昨年に堺市のホームページに掲載されたインタビューで、《私は堺生まれで堺育ち、今も堺に住んでいます》《大阪には年に2回、2カ月程滞在するだけですが、(中略)なぜ東京に引っ越さないのかというと、私が大阪、上方を好きだからです》と地元愛を語っていた。
「やや不思議な話なのですが、現在、愛之助さんは紀香さんと東京の高級マンションに住んでいますが、“堺市在住”をうたい続けています」(芸能関係者)
なぜ近隣住民が心配するほど朽ちた実家を放置し続けているのだろうか。愛之助がこの実家に抱く思いは、実に根深いものがある──。