安倍晋三・元首相が街頭演説中に凶弾に倒れてから、7月8日で1年を迎える。安倍氏の絶大な影響力は、むしろ死後に高まったようにすら思えてくる。改めて、安倍晋三氏は、一体どのような人物だったのか。元防災担当相の山谷えり子(72)氏が振り返る。
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安倍先生は厳しいリーダーに見えるけれど、実際には茶目っ気がある。思い出すのは一緒にタイに行った時のことです。私たちは安倍先生を会長に「アジアの子どもたちに学校を作る議員の会」を設立して毎月会費を持ち寄り、アジアに毎年1校ずつ学校を整備してきた。2009年に議連のメンバーでタイの小学校の寮やトイレの整備に行った。
その時、安倍先生はただ贈呈するだけではなく、「運動会をやろう」と綱引きの綱も持ってきて、誰よりも夢中で綱引きをやってらした。終わった後、みんなで象に乗ったのですが、先頭の安倍先生が私たちのほうを振り返って、「安倍晋三が象に乗ってるゾゥ」と笑って言うんです。それから地べたに座って食事をしながら、「これおいしい」とマメに料理を配ったりもされていた。
その後に1万8000人の日本兵が亡くなったインパール作戦の白骨街道に慰霊に行きました。慰霊祭で現地の高校生が『昴』と『上を向いて歩こう』を歌ってくれた。夏の暑い時でしたが、慰霊のスーツをしっかり持っておられましたね。
私は今も安倍派の座長をしていますが、(事件があった)昨年の参院選は、もう1回安倍内閣を作りたい、と頑張っていました。ご本人は1回目も2回目も身体のことで総理を辞められたので、自分からおっしゃらないし、そういうご性格ではない。それでも派閥のみんなはおそらく私と同じ思いだったと思います。
【プロフィール】
山谷えり子(やまたに・えりこ)/1950年生まれ。聖心女子大学文学部卒業。産経新聞記者などを経て2000年、衆議院議員として初当選。2004年、参議院議員に。内閣総理大臣補佐官(教育再生担当)、拉致問題担当大臣などを歴任。比例区選出、当選衆1回、参4回。
※週刊ポスト2023年7月14日号