著名人が自ら、ヤクザの子であると明かすことは珍しい。まして、それが文学者となればなおさらだ。その証言をもとに父親の足跡を追った、暴力団取材の第一人者による渾身のレポートである。フリーライターの鈴木智彦氏がレポートする。(文中敬称略)【前後編の前編】
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SNSを通じ、詩人の伊藤比呂美から連絡があったのは令和3年8月だった。
「父のことを調べて『サカナとヤクザ』にたどりつきました。高橋寅松は伯父にあたります。父はその代貸であった伊藤一彦というものです」(DMより抜粋)
「高橋寅松」と「伊藤一彦」は、拙著『サカナとヤクザ』(小学館刊)の第四章『暴力の港・銚子の支配者、高寅』に登場する博徒の貸元と幹部である。代貸という役職は「貸元の代理」という意味で、博奕を開帳する貸元から全権委任される現場責任者だ。組織ではナンバー2で、現代暴力団でいう若頭や理事長に当たる。
日本有数の漁港である千葉県銚子市の裏社会に君臨した顔役・高橋寅松、通称・高寅は、一帯を縄張りにする博徒でありながら、漁業組合を支配下に収め、地元の政財界を牛耳った。その様子を取材したアメリカ人記者は、高寅を「東洋のアル・カポネ」と伝説のギャングスターにたとえている。実際、暴力社会ではかなりのボスキャラで、日本風に言い直せば清水次郎長クラスとなろう。
伊藤比呂美も文学界のビッグ・ネームである。大胆なフェミニズムの詩作を武器にした彼女は1980年代の女性詩で大ブレイクした。小説やエッセイも数多く発表し、父親に関しては、その介護と死をテーマに『父の生きる』を上梓している。
連れ合いをなくした父は独居だった。アメリカに住む伊藤は、毎日父に国際電話をかけ、自腹で購入したエコノミークラスの航空券で頻繁に帰国した。が、伊藤は悔いた。
「私は父を見捨てた。親身になって世話をしているふりをしていたが、我が身大事だった。自分のやりたいことをいつも優先した。父もそれを知っていた」(『父の生きる』より)
ヤクザと詩人……ともにトップクラスの実力者を結ぶ父・伊藤一彦は、高寅の正妻の弟だった。高寅をモデルにした火野葦平の小説『暴力の港』にも悪辣な代貸・豊田要介として登場する。
「豊田はタカトラの女房の弟で、特攻隊の将校だった。復員してくると、虚無的な気持におちいって、狂暴な挙動が多かった。(中略)顔面神経痛で、つねに右頬が痙攣していたが、興奮すると顔中、身體中がひきつり、聲までもふるえるのである」(『暴力の港』より)
特攻隊の設定もそうだが、そっくりなのは人物描写だった。
「悪い代貸の立ち居振る舞いがめっちゃ父なんです。若いときはとても神経質だったと母から聞いていたから小説のままです。あと父の兄弟にはみんなチックがあった。顔面神経痛の描写はそれが理由でしょう。なにより下戸で、ビール飲めばすぐおなかを壊して下痢をするのは父そのもの」(伊藤比呂美)
当事者取材をせずに書いた記述とは思えない。伊藤はたまらず北九州市の火野葦平資料館に出向いた。事情を話すと自筆の取材ノートを見せてくれた。しかし火野が父を取材した確証は得られなかった。