ちょうど30年前の1993年。自社「55年体制」の“壁”が打ち破られ、自民党が結党以来初めて野党に転落した──その立役者である“政界の壊し屋”小沢一郎氏が今、永田町で再び精力的に動き出している。その目的は何か。新刊『壁を壊した男 1993年の小沢一郎』を上梓したフリージャーナリストの城本勝氏がインタビューした。【全3回の第3回。第1回から読む】
「予備選」をして野党一本化へ
──細川政権下では、1994年に公職選挙法を改正し、中選挙区制から小選挙区制への変更を実施しました。ですが、その後自民党の政権が続くようになったのは、日本には合わない小選挙区制が原因だと言う人もいますが?
「それは、勉強を全然してない人が言うセリフだ。小選挙区制がベストではないが、日本の国情と政権の状況を考えた場合には一番いい。なぜならば、あいまいを好む日本国民に二者択一を迫ることで自立心を持たせられるから。また、他の選挙制度よりは相対的に見れば政権交代は起きやすい。
制度うんぬんよりも問題なのは、投票率が低いこと。野党に期待感が湧かないから、特に俗にいうリベラル保守の人が投票に行かない。だから、投票率も50%そこそこでしょう。でも、政権交代になるかもしれないとなったら投票する人も増えるよ。10%増えれば1000万票増えるから、投票率60%以上になったら完全に政権交代だ」
──それで期待感を高めるために、「有志の会」を立ち上げた。ただ、候補者の一本化は現実には簡単ではないと思いますが。
「立憲の執行部が信用されていないのが最大の問題点だ。立憲自体が他の党の信頼を得るような政党にならなきゃいけない。
そして、一本化だ。維新も共産党も候補者をどんどん立てればいい。立憲もどんどん立てて競合する選挙区は、予備選挙をしてトップを候補者にする。これがとても明快で公正だ。一本化というと、政党同士で談合して調整して、というイメージだろうが、そういう格好は国民にとってよくない。維新の代表だった橋下徹さんも言っていたように、予備選挙をして候補者を統一するのが一番公平だ。一本化しないとトータルで自公には勝てない。それはみんなわかっている」