【書評】『北の前奏曲 早坂文雄と伊福部昭の青春』/西村雄一郎・著/音楽之友社/2860円
【評者】川本三郎(評論家)
「七人の侍」の作曲家、早坂文雄と「ゴジラ」の作曲家、伊福部昭には共通点がある。共に若き日、北海道で育ち、独学で音楽を学んだこと。二人は昭和七年に札幌で出会い、同じ大正三年生まれで共にクラシック音楽が好きだったため、親しくなり、よきライバルにもなった。
黒澤明研究の第一人者である筆者は、この二人の音楽家の北海道での青春時代に焦点を絞って、読みごたえのある青春物語にした。伊福部昭のほうは裕福な家庭に育ったが、早坂文雄は父親が家庭を捨てて出奔したため、経済的に辛酸をなめて育った。
著者は主として早坂のほうに重点を置いて書いている。早坂がいくつかの下積みの仕事をしたあとようやく高校の教職を得たこと。恋愛でも苦労したが相手の女性の変らぬ愛情に支えられたこと。また伊福部昭という良き音楽の友を得たことで切磋琢磨したこと。何よりも二人が北海道で育ったことが大きい。東京から離れていたために、中央の音楽界の動向に左右されず独自の道に進めた。
東京のクラシック音楽界がドイツ音楽一辺倒だったのに対し、二人はドビュッシー、ラヴェルらフランス音楽に傾倒した。とくに早いうちにエリック・サティの音楽に親しんでいたとは驚く。
また北海道という土地柄、アイヌの文化に接することも多く、その音楽にも惹かれた。北海道という中央から離れた地だったからこそ、逆に世界が近くなった。彼らの周辺では海外の音楽家たちと文通したり、自作の楽譜を送ったりして交流を深めたという事実も面白い。
伊福部昭は亡命ロシア人の音楽家でパリにいたチェレプニンが設定した新人の音楽家のための作曲の賞を受賞して大きなキャリアとなった。北海道は東京とは離れていたが世界には近かった。また北海道は新しい土地だけに助け合いの精神が強く、しばしば挫折しかかる早坂文雄を友人たちが助けている様子も心打たれる。よく取材して書かれた労作。
※週刊ポスト2023年8月4日号