日本社会において大きな問題となっている「老老介護」。そういった状況が原因となり、悲しい事件も起きている。自身も介護をした経験がある、女性セブンの名物ライター“オバ記者”こと野原広子氏が、老老介護について綴る。
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昨年11月、「車椅子の79才の妻を81才の夫が海に突き落として殺害した」というニュースが流れたとき、しばらくテレビの前から動けなかったよね。頭の中に「老老介護」という4文字が点滅。そりゃあ大変だよ。発作的にそんな気持ちになってもしょうがないって、とわかったような気持ちになったのは私だけじゃないと思う。
妻が脳梗塞で左半身麻痺になったのは40年前の1982(昭和57)年。それからずっと夫は妻を介護していたというんだけど、その前年の1981年に私は結婚していて、1982年といえば、同居していた大正生まれの姑から「あんたなんか女としてゼロよ、ゼロッ」と罵声を浴びせられていた真っ最中。
それから私は離婚して、その後にクズ男と同居して別れて、編集プロダクションの事務所を開いて、ギャンブル依存症になって。にっちもさっちもいかなくなったところから、どうにか生活を立て直してオバ記者になり、老いの足音がコツコツと近づいてきている今日この頃──って、もぅ、40年といったら振り返るだけでも全身から汗が噴き出すような長い歳月よ。それほど長い間介護していたのかと思ったら、もう黙るしかないよね。どんなにつらかったのか、想像もつかないもの。
自分が介護をしたときに思い知ったのは、「介護」といったときに浮かべるイメージって人それぞれだということ。
同世代の仲間3人で話をしたときもそう。K子さん(62才)の言う「介護」は、預かってくれる特別養護老人ホームを探すこと。「運よく空きがあって入居できても次はどうなるかと思うと気が休まらなかったわよ」と10年以上前の体験を話すんだわ。A子さん(68才)の「介護」は、地方で両親を在宅介護している姉夫婦のグチを聞くこと。「姉から当たられて大変なときもあるけど、ガマンするしかないよね」と言うの。
その2人に私が「シモの世話をしている」と言ったら、「えっ、何で?」と顔を見られたわよ。「それはプロの仕事で、家族がやったら共倒れになるからやめた方がいいって」と呆れられた。
いやいや、孝行娘だったわけじゃないんだって。意識混濁で入院していた92才の母親に最期のときが近づいていると判断した病院が、「短い間でも自宅で過ごした方がいいんじゃないですか?」と提案してきたのよ。全面サポートすると病院から言われ、時はコロナ禍の真っただ中。もしあれが病院への出入りが自由なときだったら、絶対に首をタテに振らなかったよね。
ところがバアさん、自宅に戻ってきたら日に日に回復しちゃって、「ところてん食いてえ」「酢の物を作れ」「今夜はビール飲むかな」って調子づいてきた。「おむつは絶対にイヤだ」と言って、ベッドの横にポータブルトイレを設置させた。で、時々起こす“大惨事”の始末がこたえたんだよね。大惨事を引き起こした当人だって、したくてしているんじゃない。人としてのプライドがある。それがわかるから、介護人の私は平気なふりをする。それが積もり積もると、小さな言葉の行き違いで大爆発。暴言を吐き、モノに当たった。たかだか4か月の同居だったけれど、私は何度もキレた。母親が亡くなったのは一昨年の春だけど、それでもあのときのことを思い出すと感情がこみ上げてくるんだよね。