日本語を母語としないながらも、今は流暢でごく自然な日本語で活躍している外国出身者は、どのような道のりを経てそれほどまで日本語に習熟したのか。日本語教師の資格を持つライターの北村浩子氏がたずねていく。今回は、無類のパフェ好きとしてテレビ等への出演も多数ある、フィンランド大使館勤務のラウラ・コピロウさんにうかがった。【全3回の第1回】
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フィンランド出身のラウラ・コピロウさんは、筋金入りのパフェ愛好家だ。フィンランド大使館商務部の上席商務官として仕事をする傍ら、日本全国をまわって様々なパフェに「会いに」行く。1年間に500個以上のパフェを味わうこともあるという。
パフェは、日本生まれのスイーツだ。ネーミングはフランス語で「完全な」という意味のparfaitから来ているとも言われる。ラウラさんのインスタグラムには工夫と意匠が凝らされたパフェの写真がずらりと並んでいて、見ているだけで心が華やぐ。ひとつひとつ完全な世界がそこにあり、器も、器を載せているお皿も美しい。フルーツやムース、ソルベ、ジュレなど、パフェの「構成」をラウラさんは毎回丁寧に紹介していて、新しい日本の文化の定着を教えてくれているようだ。
そんなラウラさんが初めて来日したのは2006年、17歳の時。函館市の高校に留学したとプロフィールにあるのだが「日本への留学って面白いかも、とふと思った」と書かれている。「ふと」? どういう経緯で「ふと」が生まれたのだろう。まずそこから伺ってみた。
「私が通っていたフィンランドの高校は、留学する人が結構多かったんです。自分も行ってみたい、と思って受け入れ先の国のリストを見たらほとんどのところが締め切りになっていて、残っていたのが日本を含めた数か国。あ、日本、なんかいいね、と国名を見て思いました。一瞬の思いつきですね。
TOYOTAとかCanon、『ポケモン』や『ルパン三世』は知っていたし、『ファイナルファンタジー』もずっとやってて、好きでした。でも、それが日本のものだとはあんまり意識してなかったかな。だから本当に『ふと』。わりと何でも思いつきでやってしまうタイプなんです」
漠然としたイメージで日本に留学することに決めたというのは、なかなかすごい。