日本語を母語としないながらも、今は流暢でごく自然な日本語で活躍している外国出身者は、どのような道のりを経てそれほどまで日本語に習熟したのか。日本語教師の資格を持つライターの北村浩子氏がたずねていく。今回は、無類のパフェ好きとしてテレビ等への出演も多数ある、フィンランド大使館勤務のラウラ・コピロウさんにうかがった。留学先の函館の高校で出逢った教師がユニークな授業をしてくれたとのことだが――。【全3回の第2回。第1回から読む】
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日本での高校生活についても聞いてみよう。クラスには他にも留学生がいたのだろうか。
「私ひとりでした。でも、その環境で勉強できることがうれしかった。やるからにはちゃんとやりたいと思っていたし、もし英語で話しかけられても英語では答えない、日本語で返そうと初日から決めていました。英語は便利すぎて、使い出したらキリがないから。
とは言え、入学した頃はほんとに語彙が少なくて、レスポンスできないこともありました。函館にはあまり外国人がいないから、その分興味を持ってくれたというか、距離を感じずに接してくれたクラスメイトもいて、全然言葉が通じなかった隣の家のアキコちゃんがミスタードーナツに連れてってくれたりしました。初めての日本のカフェで、話せないけど楽しかったですね」
当連載で以前おうかがいしたゲストのマライ・メントラインさんも日本の高校に留学した時のことを聞かせてくれた。マライさんは同級生とまったく同じ、日本語だけの授業を受けたとおっしゃっていたが、ラウラさんもそうだったのだろうか。
「はい。免除してもらったのは古典と現国だけで、あとは全部、クラスメイトと一緒に受けました。歴史は来なくていいよと言われたんですけど『いやいや、出ます』って言って(笑)出席しました。
すごくラッキーだったのは、外国人に日本語を教える資格を持っていた先生がいたことです。免除されていた授業の時、図書室へ行って、1対1でその先生に日本語を教わっていました」
「先生の教え方は、いわゆる聞き流し的な方法だったんですよ。真っ黄色の表紙の、日本語だけが書かれた教科書を開いて、私は先生が話すのを聞いていました。とにかく、ひたすら」
ひたすら、聞くだけ?
「はい。宿題は、あったのかな……私、宿題は全然嫌じゃないからいくらでもやるんですけど、たくさん出された記憶はないですね。教科書に何書いてあるか分からないまま、ただ先生の日本語をずっと聞いていました」