【書評】『女子マンガに答えがある 「らしさ」をはみ出すヒロインたち』/トミヤマユキコ・著/中央公論新社/1870円
【評者】井上章一(国際日本文化研究センター所長)
イタリアに、セルジオ・トッピというマンガ家がいる。10年以上前になくなったので、いたと言うべきか。その画力は、圧倒的である。ただ、たいていの日本人は画面に脱帽しても、筋がおいづらいと文句を言うかもしれない。
彼の国では、マンガ家の多くが絵画学校で、絵の基礎をたたきこまれている。おとなりのフランスにも、その傾向はあると聞く。なかでも、トッピは絵の技にひいでているわけだが、その姿勢をうやまう同業者は多い。画力は尊敬される能力になっている。
もっとも、あの水準で絵をしあげれば、週刊誌の連載はおぼつかない。月刊誌だって、むずかしかろう。いや、そもそも、あちらのマンガ家たちには、雑誌という媒体がほとんどない。彼らは、いきなり単行本という形で作品を世に問うのが、ふつうである。
日本にアカデミックな美術のトレーニングをうけたマンガ家は、あまりいない。多くの描き手たちは、そういう場をへずに作家となる。アシスタントの仕事をつみかさねて、頭角をあらわしたりすると聞く。
日本で、画力が問われないわけではない。しかし、人気のある人たちは、たいてい週刊や月刊のしめきりにおいたてられている。要求されるのは、すばやくしあげるコツであろう。
私が今回とりあげる本は、女子マンガに、ある種社会学的な読みをほどこしている。女性の生きかたをめぐる、さまざまな示唆をひろいだす本である。たとえば、いわゆる女子力をめぐる葛藤だったら、このマンガをひもとけというように。読者の多くは、人生論との遭遇をマンガにもとめているのかなと、感じいる。
読み物としては、おもしろい。多くの人たちに、すすめられる。しかし、本書に美術的な分析は、まったくない。この姿勢は、日本におけるマンガ消費の実相を反映してもいるだろう。画力よりも人生や社会への観察眼。週刊媒体のある日本では、まずそこがもとめられるのかと、考えさせられた。
※週刊ポスト2023年8月11日号