8月6日、夏の甲子園が開幕した。近年は投手分業制が広がり、日程に休養日が設けられるなど以前と比べれば、ピッチャーの消耗度は抑えられるようになってきた。それでも全48試合で完投数は2021年30、2022年21となっている。気温40度近い猛暑の中で9回を投げ切れば、ピッチャーにはとてつもない負担が掛かるだろう。
「甲子園での球数とプロに入ってからの活躍度には、ある程度、相関関係があると指摘されます。特に夏にひとつの大会で700球以上投げた投手は、プロで大成しにくいと言われる。
例えば、2006年にほとんど1人で投げ切って早稲田実業を優勝に導いた斎藤佑樹は決勝再試合もあったため、7試合で948球を投げています。これは甲子園での歴代最多投球数です。球数制限やタイブレーク制度ができたので、おそらくこの記録が破られることはないでしょう。ただ、甲子園での登板過多が、後の大学やプロでの故障につながり、活躍できなかった原因の1つと言えます」(スポーツライター。以下同)
斎藤佑樹は早実から早稲田大学に進学後、2010年秋のドラフト1位で日本ハムに入団。1年目に6勝、2年目は開幕投手として完投勝利を挙げた。しかし、その後故障が発覚し、結局プロでは11年間在籍して15勝26敗、防御率4.34の成績に終わった。
「斎藤はプロに入団できただけ、まだ良いかもしれません。甲子園でエースとして大車輪の活躍を見せながら、プロ入りが叶わなかった選手は多い。
1990年代以降の夏の甲子園を振り返ると、1994年の準優勝投手である樟南の福岡真一郎は742球を投げました。卒業後、九州産業大学に進学して1年生の4月に11打者連続奪三振という福岡六大学野球の記録を樹立。将来が期待されたものの、秋に右肩痛に。社会人では名門・プリンスホテルに行きましたが、2年で廃部。そこで野球人生に区切りをつけたようです。
2011年、吉永健太朗は766球を投げて、日大三高を優勝に導きました。しかし、プロ志望届を出さずに早稲田大学に進学。大学で伸び悩み、社会人ではJR東日本に入社するも2年目に故障。2014年、三重高校の今井重太郎は814球を投げて準優勝投手に。卒業後、中部大に進みますが、3年の時に左ヒジを手術しています。結局、3人ともプロになれませんでした」