地下鉄サリン「前夜」、サティアン間近の住宅で
「オウムのガサ(家宅捜索)がついに始まったみたいだぞ!」──。地下鉄サリン事件が起きた当時は新聞記者たちにとって必携だったポケベル(ポケットベル)が「ピーピーピーピー」と耳障りな高音で鳴り響き、勤務先の甲府支局に電話ボックス(公衆電話)から架電すると、同僚にそう告げられた。地下鉄サリン事件前日の3月19日夜、教団を脱退しようとした男子大学生を信者たちが拉致して監禁していたオウム大阪支部を、大阪府警が“急襲”。逮捕監禁容疑で家宅捜索に乗り出し学生を無事保護したうえで、信者3人を逮捕した。このニュースがテレビで速報され、ポケベルが鳴らされたというわけだ。
オウムが反撃に動き出すかもしれない……。そう思い、乗用車を運転して甲府から急ぎサティアン群に向かった。向かった先は富士ケ嶺の竹内精一さん宅。竹内さんはサティアン群に囲まれ、多くの信者が付近を徘徊する穏やかではない環境の中で生活し、近隣住民たちでつくるオウム対策委副委員長を務めた人物で、ずっと教団側と闘っていた。地元山梨の記者たちも東京から取材に訪れる記者たちも皆頼りにしていた。
この竹内さん宅が第7サティアンからわずか300メートル程の距離だった。竹内さん宅に到着したのは日付をまたぐ前後だったが、竹内さんの家には引きも切らずに電話が架かってきており、玄関や室内の明かりは煌々と光り、まだ起きていた。「大阪のオウム施設に警察が捜索に入りましたね。こちらはどうですか」と水を向けると「午後10時半ごろ、東京の反オウム運動の人から『どこかのオウム施設で動きがあった』とは聞いたけど、全く静かだよ」と表情を変えずに話していたことをよく覚えている。
会話をしていると、竹内さん宅にテレビのコメンテーターとして現在も活躍中の江川紹子さんから電話が入った。江川さんは元神奈川新聞記者で退社後、フリージャーナリストとして地元の坂本弁護士一家殺害(当時は行方不明)の取材に当たっていた。江川さんからの電話を切った竹内さんは「オウムの青山道場(東京都港区)に火炎瓶が投げつけられたそうだ」と、やはり表情を変えるでもなく語った。
竹内さんにとってもこの日の状況は非常事態。電話には全て応じ、会話も途切れることはなかった。到着時間が遅かったこともあってあっと言う間に時間は過ぎ、さすがに電話もかかってこなくなったので辞去してすぐ近くの車で待機。このまま車中泊するか甲府の自宅に一度戻るか考えていると、午前3時半頃に再びポケベルが鳴って富士五湖の精進湖に車が転落し2人が亡くなったと警察から広報があった事実を知り、富士ケ嶺と甲府の間に位置する精進湖の現場を確認しがてら、いったん自宅に戻ることにした。
まさにこの時刻、サリンの予行練習が行われていたのだった。