激闘が繰り広げられている夏の甲子園。“聖地”に辿り着けるチームはほんの一握りだが、優勝という栄光を掴めるは全国でわずか1チームだ。2004年の夏、北海道勢で初となる優勝を果たしたのは駒大苫小牧だった。当時キャプテンとしてチームを率いた佐々木孝介氏(現・駒大苫小牧監督)が当時の記憶、そして現在のチームへの思いを語った。(文中敬称略)
* * *
2004年夏、深紅の大優勝旗は津軽海峡を越えた。それまで甲子園未勝利だった駒大苫小牧(南北海道)が快進撃を続け、同年の選抜王者だった済美(愛媛)を破って全国制覇を遂げたのだ。
佐々木孝介(36)は当時の主将であり、ウイニングボールはショートを守っていた彼のグラブに収まった。そして現在は同校の監督を務めている。
「甲子園の決勝は8割くらいが僕らを応援してくれていたと思います。ヒットが一本出るたびに地鳴りのような歓声が起きていました。優勝後、北海道に戻っても地鳴りが続いているような感じで、この先、どんな人生が待っているんだろうと怖くなりました(笑)」
毎年春、駒大苫小牧は北海道から本州に渡り、練習試合を重ねる。ところが、新校舎への引っ越し作業などもあって、その年は遠征が中止に。それゆえ、当時の選手たちにとって本州での初めての試合が甲子園だった。
「正直、本州の学校の実力というのがわかっていなかったし、自分たちの力も未知数だった。それ以前も、本州へ遠征に行くと僕らの試合にはエースではなく3番手、4番手の投手が先発することが多かったんです。ところが、僕らが優勝したあとは、エースを登板させてくれるようになったし、本州から北海道の学校に選手が進学してくれるようになった。やはりあの優勝で北海道の高校野球は大きく変わったと思います」
それまで駒大苫小牧は春1回、夏3回の甲子園に出場していたが、1勝もあげられずに北海道に帰っていた。佐々木も下級生ながらメンバーだった2003年夏は、倉敷工業を相手に初勝利を目指し、4回裏まで8対0とリードしていた。ところが雨脚が強くなり、ノーゲームに。再試合では2対5で敗れるという悔しい経験をしていた。
「だから僕らの代は、甲子園にもう一度行って、悔しい思いをした先輩たちの借りを返すことが1年間の目標だった。初戦の佐世保実業戦(2回戦)に勝利することができて、僕らは満足していました」
◆日程も味方した
15安打を記録して初勝利を飾ると、次戦の相手は西東京の日大三だった。初戦でPL学園(大阪)を破った東の横綱だ。
「中学3年生の頃、日大三が全国制覇するのを僕は食い入るように見ていました。だから、どうしても物怖じしてしまいますよね。ところが、試合前のシートノックを見ると、『あれ!?』と」