ライフ

【キャンセルカルチャーの時代】「差別に安住してきた」日本人も世界の潮流と無縁ではいられない

現代社会の象徴ともいえる「キャンセルカルチャー」とは?(イメージ)

現代社会の象徴ともいえる「キャンセルカルチャー」とは?(イメージ)

 ベストセラー作家・橘玲氏は、新刊『世界はなぜ地獄になるのか』で、複雑になりすぎた現代社会について「誰もが自由に生きられる社会は、こんなにも不自由だ」と説いている。その象徴が「キャンセルカルチャー」だ。ポリティカル・コレクトネス(政治的正しさ)の基準に反した言動をした者の社会的存在をキャンセル(抹消)しようとする運動のことだが、SNSなどでは特定の対象が徹底的に叩かれる。その背後にある現代社会の病理とは──。橘氏に聞いた。【前後編の後編。前編から読む

 * * *
 キャンセルカルチャー現象は、「広義」と「狭義」に分けるとわかりやすいと思います。広義のキャンセルカルチャーは、直感的に許せないと感じた相手を匿名で一斉に批判し、炎上させること。日本で起きているキャンセルの大半はこのパターンです。

 一方、狭義のキャンセルカルチャーは、これまで社会正義を掲げる側だったリベラルな知識人が標的になる新しい現象です。『ハリー・ポッター』の著者で女性の権利擁護に取り組んできた作家J・K・ローリングが、TERF(ターフ:トランス排除的ラディカルフェミニスト)のレッテルを貼られてトランスジェンダー(体の性と心の性が一致していない状態にある人)の権利のために闘う活動家からキャンセルされたケースが代表例です(この複雑な背景については新著をお読みください)。

 日本の場合、道徳エンタテインメントとしてのキャンセルばかりで、狭義のキャンセルカルチャーはまだそれほど目立ちません。その理由として、そもそも「日本人は差別に安住してきた」ことがあると思います。日本では、「リベラル」を自称する組織が差別の主体になっていたりするのです。

 わかりやすいのが労働組合でしょう。正社員と非正規の極端な待遇の違いは「身分差別」ですが、「あらゆる差別に反対する」はずの労組は正社員の既得権だけを守ろうとしてきた。親会社からの出向と子会社の社員、本社採用と現地採用で、同じ仕事でも給与や待遇が異なるなど、日本企業は重層的な差別によって成り立っています。

 それにもかかわらず、リベラルなメディアや知識人は、「日本的雇用を守れ」とか「グローバル資本主義による雇用破壊を許すな」といって、この明らかな差別をずっと無視し、隠蔽してきました。

 日本では欧米のように人種問題や移民問題が深刻化していないということもあるでしょうが、日本人がアイデンティティ問題に鈍感なのは、差別が当たり前だと思っているからです。とはいえ、日本も世界の潮流から無縁ではいられませんから、本格的なキャンセルカルチャーがこれから到来することになるでしょう。

「自分らしく生きられる社会をつくりたい」というリベラルの「ユートピア(天国)」運動から、「いつ自分が排除され、社会的に抹消されるかわからない」というキャンセルカルチャーの「ディストピア(地獄)」が生まれました。私たちは、天国と地獄が混然とした「ユーディストピア」を生きていかなくてはなりません。

 イギリスの政治・社会評論家ダグラス・マレーは著書『大衆の狂気』で、いまや「文化全体に地雷がしかけられている」と述べています。だとすれば、あえて地雷を踏む勇気のある人以外は、“地雷原”に近づかないようにするしかありません。

 こうして、有名人はSNSで個人的な意見を控えるようになりました。「言論の自由」の抑圧は健全ではありませんが、キャンセルの標的にされたときの取り返しがつかない損失を考えれば、投稿するのはパブリシティとネコの写真だけにするのが、平穏に人生を送る秘訣かもしれません。

(了。前編から読む

【プロフィール】
橘玲(たちばな・あきら)/1959年生まれ。作家。国際金融小説『マネーロンダリング』『タックスヘイヴン』などのほか、『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』『幸福の「資本」論』など金融・人生設計に関する著作も多数。『言ってはいけない 残酷すぎる真実』で2017新書大賞受賞。リベラル化する社会をテーマとした評論に『上級国民/下級国民』『無理ゲー社会』がある。最新刊は『世界はなぜ地獄になるのか』(小学館新書)。

※週刊ポスト2023年8月18・25日号

関連記事

トピックス

ドラフト1位の大谷に次いでドラフト2位で入団した森本龍弥さん(時事通信)
「二次会には絶対来なかった」大谷翔平に次ぐドラフト2位だった森本龍弥さんが明かす野球人生と“大谷の素顔”…「グラウンドに誰もいなくなってから1人で黙々と練習」
NEWSポストセブン
渡邊渚さん(撮影/藤本和典)
「私にとっての2025年の漢字は『出』です」 渡邊渚さんが綴る「新しい年にチャレンジしたこと」
NEWSポストセブン
ラオスを訪問された愛子さま(写真/共同通信社)
《「水光肌メイク」に絶賛の声》愛子さま「内側から発光しているようなツヤ感」の美肌の秘密 美容関係者は「清潔感・品格・フレッシュさの三拍子がそろった理想の皇族メイク」と分析
NEWSポストセブン
2009年8月6日に世田谷区の自宅で亡くなった大原麗子
《私は絶対にやらない》大原麗子さんが孤独な最期を迎えたベッドルーム「女優だから信念を曲げたくない」金銭苦のなかで断り続けた“意外な仕事” 
NEWSポストセブン
国宝級イケメンとして女性ファンが多い八木(本人のInstagramより)
「国宝級イケメン」FANTASTICS・八木勇征(28)が“韓国系カリスマギャル”と破局していた 原因となった“価値感の違い”
NEWSポストセブン
実力もファンサービスも超一流
【密着グラフ】新大関・安青錦、冬巡業ではファンサービスも超一流「今は自分がやるべきことをしっかり集中してやりたい」史上最速横綱の偉業に向けて勝負の1年
週刊ポスト
今回公開された資料には若い女性と見られる人物がクリントン氏の肩に手を回している写真などが含まれていた
「君は年を取りすぎている」「マッサージの仕事名目で…」当時16歳の性的虐待の被害者女性が訴え “エプスタインファイル”公開で見える人身売買事件のリアル
NEWSポストセブン
タレントでプロレスラーの上原わかな
「この体型ってプロレス的にはプラスなのかな?」ウエスト58センチ、太もも59センチの上原わかながムチムチボディを肯定できるようになった理由【2023年リングデビュー】
NEWSポストセブン
12月30日『レコード大賞』が放送される(インスタグラムより)
《度重なる限界説》レコード大賞、「大みそか→30日」への放送日移動から20年間踏み留まっている本質的な理由 
NEWSポストセブン
「戦後80年 戦争と子どもたち」を鑑賞された秋篠宮ご夫妻と佳子さま、悠仁さま(2025年12月26日、時事通信フォト)
《天皇ご一家との違いも》秋篠宮ご一家のモノトーンコーデ ストライプ柄ネクタイ&シルバー系アクセ、佳子さまは黒バッグで引き締め
NEWSポストセブン
ハリウッド進出を果たした水野美紀(時事通信フォト)
《バッキバキに仕上がった肉体》女優・水野美紀(51)が血生臭く殴り合う「母親ファイター」熱演し悲願のハリウッドデビュー、娘を同伴し現場で見せた“母の顔” 
NEWSポストセブン
六代目山口組の司忍組長(時事通信フォト)
《六代目山口組の抗争相手が沈黙を破る》神戸山口組、絆會、池田組が2026年も「強硬姿勢」 警察も警戒再強化へ
NEWSポストセブン