センターポジション、メンバーカラー、組織的な応援、ライブの重視、バラエティへの進出……。現在では常識となっているアイドルグループのセオリーのパイオニアといえるのが、今年デビュー50周年を迎えるキャンディーズだ。メンバーの伊藤蘭、田中好子、藤村美樹はタレントを養成する東京音楽学院で出会い、スクールメイツで活躍。1972年4月よりNHK『歌謡グランドショー』に出演し、番組のマスコットガールとして“キャンディーズ”と命名される。
1973年4月からは『8時だョ!全員集合』にレギュラー出演。同年9月に「あなたに夢中」でレコードデビューを飾る。愛称はラン、スー、ミキで、当初は最年少のスーがセンターのメインボーカルを務めた。しばらくは大きなヒットに恵まれなかったが、ランをセンターに据えた「年下の男の子」が初のトップ10入り。同曲で1975年の『紅白歌合戦』に初出場を果たす。
ブレイクした3人は大学生を中心に熱狂的な支持を獲得。1975年10月にはファン主体の実行委員会主催による「10000人カーニバル」が開催される。この公演の演奏を担当したMMP(ミュージック・メイツ・プレイヤーズ)はのちにスペクトラムを結成するスーパーミュージシャンを中心としたバンドで、以後、彼女たちのライブを支える重要な存在となった。
人気絶頂で解散を表明「私たちは幸せでした」
その後も「春一番」「やさしい悪魔」などのヒットを連発し、メンバーカラー(ランが赤、スーが青、ミキが黄色)も定着。抜群のコーラスワークと、メンバー自ら作詞・作曲を手がける実力で音楽的評価を高めていく。
司会やCMでも活躍した3人はコメディエンヌとしての才能も発揮。1976年10月開始の『みごろ!たべごろ!笑いごろ!!』では振り切ったコントが評判となる。
前述の実行委員会が「全国キャンディーズ連盟」に発展するなど、人気は高まる一方だったが、1977年7月、日比谷野外音楽堂でのライブ中に突然、解散を宣言。全国に衝撃が走り、キャンディーズは社会現象となる。「最後にチャート1位を獲らせよう」。ファンの想いはラストシングル「微笑がえし」で結実する。
1978年4月4日に後楽園球場で開催された解散公演はアイドルグループ初のスタジアムコンサートで5万5000人を集客。「私たちは幸せでした!」の言葉を残して、キャンディーズは伝説となった。
取材・文/濱口英樹
※週刊ポスト2023年8月18・25日号