人生最期の瞬間に後悔しないために、「あの人」はどんな生活を送っていたのだろうか─―。惜しまれつつも“あっぱれ”な人生でこの世を去った有名人。その家族や知人が証言する「自分らしい生き様」から学ぶことは多いはずだ。
〈幸せな人生だった。命には必ず終わりがある。自分にもいつかその時は訪れる。(略)それが俺に与えられた運命。病気に負けたんじゃない。俺の寿命を生ききったということだ(略)〉
これは、2021年6月30日に70歳で亡くなった元プロ野球選手・大島康徳さんが残した言葉だ。
中日と日本ハムで活躍し、通算2204安打を記録した大島さんは、2016年10月にステージIVの大腸がんが見つかった。そして翌年2月、大島さんは医師から「余命1年」を宣告されたことを自身のブログで公表した。
「あの時は、家族で話し合いました」。そう振り返るのは、大島さんの妻・奈保美さんだ。
「当時、がんの治療をしながら仕事を続けるのは、受け入れる側の不安もあり、まだ難しかった。主人はがんを公にして働き続けることで、社会の理解が得られることを願っていました」(奈保美さん)
大島さんは末期がんに苛まれながらも球場を訪れ、野球解説の仕事を続けた。体はつらいはずなのに、大好きな解説をするその表情は実に生き生きしていたという。
亡くなる6日前、自宅に戻り在宅治療に入った。元々寡黙な男だったが、死を前にしても言葉は少なく、「俺がいなくなったらこうしてくれ」「今まで苦労をかけたな」といった言葉もなかった。食事中に奈保美さんが手を貸そうとするとただ、「大丈夫」とだけ口にした。
「主人は若い頃から自分の体を他人に触られるのを嫌がりました。そのアスリート精神を最期まで貫いたんでしょう。ただし一度トイレに立つ時に転んで私が補助をすると、それ以降はトイレの時は『頼む』と言うようになりました」(奈保美さん)
その後、緩和ケア病棟に移り苦痛をコントロールしながら、弱った姿や苦しむ姿を見せることなく眠るように旅立った。
大島さんが家族にも言葉を残さなかった理由を、妻はこう解釈する。
「自分が残した言葉が家族にプレッシャーを与えることを避けたかったのだと思います。主人は自分のペースで命を見つめ、黙って死を受け入れる姿を家族に見せてくれました。だから私たちも『よく頑張っているね』と言うことなく、笑顔で見送ることができました。言葉がなくても、『ありがとう』という気持ちにさせてくれたんです。本当に立派な最期だったと思います」(奈保美さん)
時には言葉がないほうが人は雄弁になる。大島さんは見事に寿命を生ききった。
※週刊ポスト2023年9月1日号