その街でどんな不思議が起きても、私達が〈京都だから〉の一言で納得するようになったのは、おそらく2006年に『鴨川ホルモー』で鮮烈なデビューを果たした万城目学氏のせいだと思う。
「いやいや。どっちが鶏か卵かと言えば、僕が京都に乗っかって書いてるんです。これは学生時代というより、京都を出てから感じたことですけど、京都は常に外の人から過大な期待をされていて、京都を前面に出せば何が起きても許される的なイメージを、僕も意識的に利用しているだけです」
それこそ最新刊の舞台は16年ぶりの京都。全国高等学校駅伝競走大会、通称・都大路で、最終走者に突如抜擢された〈絶望的に方向音痴〉な1年生〈坂東〉が、〈誠〉を旗に掲げた奇妙な着物姿の集団に並走される「十二月の都大路上下ル」。
また、友人に3万円借りた弱みから京大生〈朽木〉が草野球に早朝から駆り出される表題作でも、いるはずのない人がそこにはいて、つい「京都だから」と思わされてしまう全2編である。
「本当は2006年に『鴨川ホルモー』が出て、翌年外伝の『ホルモー六景』を出した後も、京都のことはいつか書きたいなあと思っていて。でも特に現代京都を舞台にすると隙間がないんですよ。フィクションの土壌的にはもう焼け野原というか。
それでも僕は学生とかのユルくてしょうもない話を書きたくて、『とっぴんぱらりの風太郎』(2013年)という戦国末期のニートな忍者の話を書いたりもした。でもやっぱり現代も書きたい、でも隙間はないという時にふと、死者と生者が交わる場所として京都を書いたら面白いんじゃないかと。
こんなん言うとシャレて聞こえますけどね。実際は京都をフツウに歩いてて、人が大勢いる中に、死人が何食わぬ顔で紛れとってもわからへんな、みたいな、単なる思い付きです(笑)」
確かに戦乱や疫病などで数多くの魂が眠る京都は、8月の五山送り火他、死者を思う機会には事欠かない。尤も表題作の朽木の場合、その夏は四万十川に程近い彼女の実家で過ごす予定だったはずが、夏休み前に彼女にフラれ、灼熱の京都に1人残される、最悪の夏となった。〈八月の京都の暑さに勝てる者などいない〉〈すべての者は平等に、ただ敗者となるのみ〉
そんな中、朽木は祇園のクラブで働き、ママと恋仲でもあるらしい理系学部の五回生〈多聞〉から焼肉に誘われる。むろん羽振りのいい彼のおごりだが、既に外資のコンサルに内定を得ながら卒業が危うい多聞は担当教授〈三福〉からある交換条件を出されたといい、それが〈たまひで杯〉なる野球大会への参加だった。