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【逆説の日本史】「火事場泥棒」に大義名分を与えることになった、第一次世界大戦へのイギリスの参戦

作家の井沢元彦氏による『逆説の日本史』(イメージ)

作家の井沢元彦氏による『逆説の日本史』(イメージ)

 ウソと誤解に満ちた「通説」を正す、作家の井沢元彦氏による週刊ポスト連載『逆説の日本史』。近現代編第十二話「大日本帝国の確立VII」、「国際連盟への道5 その4」をお届けする(第1390回)。

 * * *
 第一次世界大戦へのイギリスの参戦。その参戦に、大日本帝国はなぜ狂喜乱舞したのか?

 前編「国際連盟への道4」で紹介した当時の日本の世論や、『東京日日新聞』の「煽動コラム」近事片々を思い出していただきたい。とくに注目すべきは、例の南京事件(中華民国軍による日本人虐殺)について、「善後の處置は獨逸の膠州灣占領に倣う可き耳と戸水博士の論亦傾聽に値ひす」と述べているところだ。あらためて繰り返せば、これは「“バイカル博士”戸水寛人が主張しているように、ドイツが清国のドイツ人宣教師虐殺を奇貨として軍隊を派遣し膠州湾を奪ったのを見習って、日本も同じようにすべきだ」と主張しているのである。

 戸水寛人は、客観的に見れば外交的に大成功だと評価できるポーツマス条約についても、そもそも講和会議をボイコットすべきだと主張した強硬派である。そうした乱暴きわまりない主張を、外務省や良識ある政治家の犬養毅らは「相手の弱みにつけ込む火事場泥棒のようなものだ」と批判した。念のためだが、その火事場泥棒をやれと言っている面々は、膠州湾を奪えと言っているわけでは無い、そのようなやり方で別の場所(あるいは利権)を中国から奪え、と言っているわけだ。具体的には、南満洲近辺の都市かそれに関する利権が狙いである。

 ところが、イギリスがドイツと戦うことになったので話はまったく変わってきた。まず、日本とイギリスは日英同盟を結んでいる。これは軍事同盟だから、日本はイギリスを助けるためにドイツに宣戦布告してもまったく問題は無い。つまり、ドイツが事実上植民地化している膠州湾そのものを攻撃する大義名分ができたのである。

 幸いにして、主戦場はヨーロッパである。ドイツはアジアに派兵する余裕は無い。つまり、アジアにおけるドイツとの戦争は日本が勝利できる可能性が非常に高いし、勝てば大陸の戦争がどうなろうと日本が膠州湾をそのまま占領できる可能性が高い。つまり、イギリスの参戦は「火事場泥棒」に「正当な軍事行動」という大義名分を与えてしまったのである。これだといわゆる「火事場泥棒批判派」も、「やはり膠州湾には手を出すべきでは無い」とは言いにくい。

「日露戦争はイギリスとの同盟のおかげで勝つことができた。そのイギリスに借りを返すのがなにが悪い」と反論されてしまうからだ。

 だから強硬派は狂喜乱舞したのである。当時、元老のなかで最長老クラス(松方正義が最長老)だった井上馨は、「大正新時代の天佑」と叫んだそうだ。おや、井上馨はまだ生きていたのか、と思われる読者もいるだろう。彼は長州人で、同郷の高杉晋作や桂小五郎(木戸孝允)らとともに明治維新を成功に導いた立役者である。しかし、明治になってからは尾去沢銅山事件(『逆説の日本史 第22巻 明治維新編』参照)に代表されるように、「貪官汚吏(職権を悪用して悪事を働き、私利私欲を貪る官僚や政治家)」という言葉がこれほどぴったりはまる人物はいないというほどの「悪人」になってしまった。歴史に深い洞察を示す作家海音寺潮五郎が『悪人列伝』に取り上げたのも、そこのところだろう。

 海音寺はこう嘆く。

〈馨の生涯を眺める時、文久二年から元治元年までの三年間が最も美しい。張り切った男性の美がある。頭も切れるし、意気も昂揚し、心事も清潔だ。この期間の彼は天才児であり、英雄であるといってよい。それほどの彼が維新運動が一段落し、新政府の大官となると、こうもきたなくなってくる。人間は生涯天才であり、英雄であり、清潔であることはむずかしいものと見える。〉
(『悪人列伝 近代篇』海音寺潮五郎著 文藝春秋刊)

 なぜ井上馨は、明治維新前と維新後でかくも豹変してしまったのか。常々述べているように、日本の歴史学者は他の分野の学者と共同研究しないという「悪癖」があるのだが、この「井上馨の豹変」は心理学者と共同研究すべき、きわめて興味深いテーマではないか。

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