関東大震災が発生してから100年目にあたる今年9月1日、長く闇に葬られていた事件を描いた映画が公開される。タイトルは『福田村事件』(監督・森達也)。震災が発生した5日後、千葉県東葛飾郡福田村(当時)に住む100人以上の村人によって、香川から訪れた薬売りの行商団15人のうち、幼児や妊婦を含む9人が殺害された。
震災直後、関東各地で地域の「自警団」や住民による「朝鮮人虐殺」が行なわれた。行商団は讃岐弁で話していたことから、朝鮮人と決めつけられて殺害されてしまう。「善良な住民」は、福田村で、そしてほかの町や村で、なぜ「虐殺行為」ができたのか。100年後を生きる私たちにとって、それは「過去の話」なのか。
作品の中で重要な役割を果たす村の自警団のリーダーを演じた水道橋博士に、この映画は何を語りかけているか、私たちはそれをどう受け取るか、そして「自分がもっとも嫌いなタイプの人間」を演じた苦しさを聞いた。(前後編の前編。聞き手・石原壮一郎)
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デリケートな問題に切り込んでいくのが映画の本来の役割
──衝撃的な作品でした。この事件のことは、恥ずかしながら知りませんでした。
もちろん,ボクも知りませんでした。過去にほとんど語られてこなかった事件で、メディアも取り上げるのが難しかったですからね。朝鮮人虐殺やその根底にある朝鮮人差別に加えて、被差別部落の問題も深く関係している。
こうして映画になったのは、森達也監督ら関係者の執念のたまものです。関東大震災100年目の9月1日のタイムリミットに向けて、映画制作と公開へ向けてのすべての要因が偶然にも必然にもそろったのでしょう。
映画って本来は、デリケートな問題にどんどん切り込んで、観る人の心を揺さぶるのが大きな役割のはず。世界中に社会派、あるいは自国の負の歴史を語るような映画作品は多々作られているし、それもエンタメと共存している。
ところが今の日本では、「差別問題」を扱っているというだけで、すぐに先回りして「自主規制」してしまう。そういう残念な流れを変えるためにも、この映画の「意義」や「面白さ」を共有して、多くの人に観てほしいですね。
──かなり過酷な撮影だったとか。
いやあ、ハードでしたね。去年の8~9月に一カ月ぐらいかけて京都や滋賀で撮影したんですけど、京都盆地の暑さが半端じゃない。しかもボクは、在郷軍人会の分会長の役で、暑苦しい軍服を着てる。それが通気性も悪いから大量の汗を吸って重いのなんの。
スタッフとキャストはほとんど京都のホテルに合宿していたんですが、ボクは当時、参議院議員になったばかりで、いつ委員会が立ち上がるかわからなくて、質問の事前提出準備もあり、毎日東京に帰らなきゃいけない。体力的にもすり減って、ほかの人たちとの交流がないから孤独でした。そのおかげで役には没入できましたが……。東京から京都へ入るたびに大正時代にタイムスリップしているような感覚がありました。
しかも、撮影の途中に大理石の階段で転倒して腰を痛めちゃって……。ほぼストーリーの順に撮っていたんですが、最後のクライマックスのシーンを撮るときは、もう立ってるだけでせいいっぱいで。スタッフがボクの腰が悪いのを気遣ってくださって、名優だらけのなかで、毎回、合間、合間、ボクだけ簡易椅子を出してくれました。超大御所扱いが、もう申し訳なくて(笑)。