関東大震災を生き抜いた市民たち AIカラー化写真でよみがえる復興への道のり
「火煙を望む街角の混乱ぶり」。洋食店など商店が立ち並ぶ街頭で、もうもうと立ち昇る火災の煙を見上げながら混乱する人々。もの珍しいのか、興味津々の様子で少年がカメラを見つめている(所蔵元:国立映画アーカイブ)
「浅草仲見世の焼跡」。浅草仲見世の焼け跡。奥には奇跡的に焼け残った浅草寺の宝蔵門と五重塔が見える。周囲を火に囲まれた浅草寺だったが、境内には数万という人々が逃げ込んできたという(所蔵元:国立映画アーカイブ)
「上野山下の街頭を埋めた避難民」。避難してきた被災者でごった返す上野山下。通り中央の市電は停車したまま運行はしていない。震災当日、近隣の上野公園には約50万人の被災者がひしめいていたといわれている(所蔵元:国立映画アーカイブ)
「日比谷公園野外音楽堂前の野外少国民学校」。日比谷公園野外音楽堂で授業を受ける「野外少国民学校」の被災児童たち。数々の伝説的な音楽ステージを見守ってきた通称“野音”は、この年の7月にオープンしたばかりだった(所蔵元:国立映画アーカイブ)
「日本赤十字社病院における救護活動」。現在の渋谷区広尾にあった日本赤十字社病院での救護活動の様子。同病院では発災当日から救護班が編成され、およそ200万人を超える人々の救護に当たった(所蔵元:国立映画アーカイブ)
「靖国神社境内のバラック」。靖国神社の境内に被災者を収容するバラック(仮設住宅)が建設された。9月13日起工、26日竣工のバラックは全70棟。建設を警視庁、管理を東京市社会教育課が担った(所蔵元:国立映画アーカイブ)
「罹災傷病者を慰問する皇后」。大正天皇の皇后である貞明皇后は、9月末より各地の視察を行なっている。写真は10月2日、東京帝国大学附属病院を巡覧する様子。寝たまま皇后を迎える傷病者も少なくなかった(所蔵元:国立映画アーカイブ)
「仮事務所による職業紹介」。第一次大戦後の不況に震災が追い打ちをかけ、失業者が急増。彼らに仕事を斡旋すべく、東京市が職業紹介に乗り出し、帝室博物館(現・東京国立博物館)には仮事務所が設置された(所蔵元:国立映画アーカイブ)