放送作家、タレント、演芸評論家、そして立川流の「立川藤志楼」として高座にもあがる高田文夫氏が『週刊ポスト』で連載するエッセイ「笑刊ポスト」。今回は、喜寿を迎えた三遊亭好楽について綴る。
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大変だ、三遊亭好楽が「喜寿」(77歳)である。古い人なら「喜寿だらけの人生」by鶴田浩二なんて言うかも(ザブトン持ってけ)。
今や国民的番組、近頃は子供達が見てるという『笑点』。ピリリと辛い一之輔の看板が一枚加わり少しはシャキッとしてきた。そこで妙にうけてるのが「答えない」「手を挙げない」「指されると変にすべる」でおなじみ、やる気のなさ関東一の好楽である。
久しぶりに会ったので「カミさん亡くして楽ちゃん(楽太郎だった圓楽)もいなくなって淋しいでしょ」と御為ごかしに言うと「うん。まぁ。それよりさこの前、ポリープ取りに病院行ったのよ。そしたら医者があたしに向かって“ポリープ取る前に笑いを取れ”だってアハハ、うけたねぇ」だと。うけてる場合か。
「笑点の収録は大丈夫?」「うん。何とか答えないようにしてさ……今度遅刻して出てやろうかと思って」「いいネ。2問で早退って手もあるよ」「さすが。最悪答えが出なかったらおしっこしちゃおうと思って」アハハひどい芸である。77歳の言うことじゃない。
この師匠は元々先代の林家正蔵(のちに彦六)の弟子で、酒の上のしくじりで23回破門されている。師没後83年に圓楽(『笑点』司会者。ガハハと笑った)門下となり、楽太郎だった圓楽と兄弟分になる。正蔵門下時代は林家九蔵と名乗り、仲間内からは「九ちゃん」と呼ばれ、ここの家の人が皆いい人でいつも誰かが飲んでいる。私も大学生時代、田島(のちの右朝)やら高助(のちの志ん五)、左談次らと家へ行っちゃ飲み酔い泊まって、もう朝なんてことが年中。落語長屋のような暮らしぶりだった。
自分で小さな寄席を造った。1階が寄席で2階が好楽の住まい、3階には孫達だそうな。電話の取り次ぎも自分でやる。「ハイ好楽です」「ラーメンとギョーザ2人前」。日に3本は間違い電話が入る。根津駅徒歩3分。「池之端しのぶ亭」。40人で満席だそうな。「この前ね、私の独演会やったの。客11人。終わってむかいの呑み屋で打ちあげやったら35人いた。みんな落語きかないで飲むだけを楽しみに来てるの」。
そんな訳で私が「今度対談かなんかで出ようか」と言ったが早いか、次の日には告知。「好楽喜寿記念落語会」。9月13日、桂宮治ら。14日、桂竹丸、春風亭一之輔、高田文夫。15日、林家木久扇、三遊亭王楽(息子)ら。自慢するようで言い出しにくいのですが私の出る日はすでに完売です。本当に悪しからず。
※週刊ポスト2023年9月8日号