「文学館にはさまざまな世代のファンが訪れますが、皆さんに共通しているのは向田さんのライフスタイルに魅了されていることです」。そう語るのは、かごしま近代文学館の学芸員・井上育子さん。同館では幼少時代の一時期を鹿児島で過ごした脚本家で作家の向田邦子さん(享年51)の企画展を数多く行っている。1981年、台湾取材中の飛行機墜落事故で非業の死を遂げるまでもの書きとして第一線で活躍し続けた彼女は、仕事に追われながらも女性ひとりでいかに豊かな暮らしをするかに心を砕いており、「わたしと職業」というエッセイにはこう記されている。
《女が職業を持つ場合、義務だけで働くと、楽しんでいないと、顔つきが険しくなる》
その言葉どおり、向田さんはどれほど忙しくてもトレードマークだったショートヘアの手入れは欠かさず、「このマンションにふさわしい仕事をするから、見ていて」と宣言して購入した東京・青山のビンテージマンションを、お気に入りの家具や食器で埋め尽くした。
最たるものが「食」への探求心だ。気取らないのにおいしく、食器や盛り付けにもこだわった極上の手料理には芸能人のファンも多く、代表作であるドラマ『寺内貫太郎一家』(TBS系)の脚本を担当した際、長女の静江を演じた梶芽衣子(76才)が出演を固辞した際、向田さんからお手製の豚しゃぶ鍋を振る舞われ、その絶妙な味と向田さんの飾らない人柄に梶が惚れ込み、一転して出演をOKしたという逸話が残る。
井上さんも向田さんのこだわりに影響を受けたと話す。
「『箸置』というエッセイに出てくる“箸置きも置かずにせかせか食事するのが嫌になった”という一文を読んでから、ひとりで食事をするときも箸置きを使うようになりました。向田さんのおかげでゆったりと、だけどきちんと食事をとることでどれだけ心が満たされるかがよくわかった。
豊かな生活をしたいと思ったとき、私たちが真似できる無理のない方法を教えてくれるところも、いまもなお多くの女性に支持される大きな理由だと思います」
そんな向田さんは亡くなる直前のインタビューで、現在の「生涯現役」を先取りする発言をしていた。
「『20代は映画記者、30代はラジオ作家、40代はテレビ作家、50代は小説家で、60代はまた何かを始めているのでしょう』という発言があり、どこまでもポジティブな言葉に勇気をもらいました」(井上さん)
生きていればもうすぐ94才になるはずだった向田さん。いまも多くの女性が、ひとり豊かに生きる姿に憧れ、彼女ののびやかで上質な言葉に背中を押されている。
向田邦子(むこうだ・くにこ)/東京都出身。『寺内貫太郎一家』『阿修羅のごとく』など数多くの人気ドラマの脚本を執筆。1980年には『思い出トランプ』に収録された『花の名前』ほか2作で直木賞受賞。『父の詫び状』をはじめとしたエッセイにもファンが多い。
※女性セブン2023年9月28日号